損得では理解できないユダヤ人虐殺の理由
ナチスが進化論に基づいた人間の改良を掲げ、ドイツ国民を惹きつけていたことについては過去記事「なぜアメリカ人は進化論を信じない? 日本人が知らないその背景」で触れました。
アーリア人らしいドイツ人をつくるためにレーベンスボルンを設立し、金髪碧眼の子供をたくさん作ろうという計画を立てたのも、その一環ですね。
その一方でユダヤ人やロマ族などは虐殺されました。特にユダヤ人に関しては、ヨーロッパからユダヤ人を根絶するつもりでやっていたとされています。
(ロマ族とは→「日本人に西洋穢多とまで呼ばれたヨーロッパの不可触民、ロマ族をどこまで知ってる?」)
これらはヒトラー率いるナチスの狂気がやらかしたことだと、深い疑問もなく流されることが多いですね。
しかし、果たして、虐殺する必要があったのでしょうか?
ドイツ人を金髪碧眼で健康な理想に近い民に改造したかったならば、ユダヤ人を国外追放すればよかっただけですね。
なのにナチスはアウシュビッツをはじめとする施設をわざわざ用意し、ガス室に送るべきユダヤ人の捜索、捕獲したユダヤ人の管理、誘導、死体の処理など、ユダヤ人を殺すことに多くの手間をかけています。
大事なドイツ国民にこんな手間をかけさせて劣等民族を殺すより、領土拡大のための戦争の準備でもさせたほうがよかったでしょうに?
「なぜナチスはユダヤ人を”大量虐殺”したのか?」
この理由、多くの日本人にとって謎なのではないでしょうか?
杉浦千畝のように、ナチスと同盟を組んでいる日本の民でありながら、ユダヤ人救命に協力する者が出たのも、日本人が当時からナチスのその動機を理解してなかったからかもしれません。
ホロコーストの影の主役 ハインリヒ・ヒムラー
ユダヤ人虐殺のためのガス室などの提案、指揮にはヒトラーの参謀であるヒムラーが深くかかわっていました。
ヒムラーは表面的には冷静沈着、温厚にさえ見える人物でありながら、ユダヤ人には非常に冷酷でした。
ハインリヒ・ヒムラー
ヒムラーはナチスの中でも急進的な反キリスト教の立場にいた人物です。
ナチス幹部にはゲッペルスなど、カトリックに熱心な家庭に生まれながら、キリスト教に強い敵意を持っていた者が複数見られます。ヒムラーもその一人でした。
ヒムラーの両親は敬虔なカトリック教徒であり、父親はバイエルン侯の教師もした名士でした。
その反動か、ヒムラーは長じるにつれ、キリスト教に強い反感を持つようになっていきました。
彼のキリスト教への対決姿勢はヒトラー以上に激烈でした。
「我々はキリスト教との戦いの最終局面に生きています。SS(ナチス親衛隊)の任務は今後半世紀にわたってドイツ国民に非キリスト教のイデオロギーの基礎を与えることです。」
1937年 ヒムラーの言葉
またヒムラーは将来、進化した人類と進化できなかった旧型の人類との間で争いが起きることを想定していました。
ちょっと20世紀のSF作品でよく見たような発想ですね。
その戦いに備えるべく、キリスト教を超越し本来のドイツ民族らしい生き方を取り戻す先駆者になることがSSの主要な仕事と考えていました。
キリスト教を否定し、ドイツの神話を重視したナチスの姿勢については日本語版のwiki「ナチス・ドイツにおけるクリスマス」にも載っています。
ヒムラーらが掲げた、こうした反キリスト教的でドイツ民族文化重視の方針を「チュートン人のカルト教」だと呼ぶ一部の学者もいます。
(チュートン人とはなにか?→関連記事「ヒトラーの子供たち レーベンスボルン出身者の天国と地獄」)
そのヒムラーが、なぜキリスト教徒ではなく、ユダヤ教徒の迫害、虐殺の中心人物になったのでしょう?
キリスト教の知識はあっても信仰はしてない、いち日本人として考えてみます。
ユダヤ人虐殺は「神への挑戦」?
新約聖書には以下のイエスの言動が収録されています。
キリスト教に博愛的で慈悲深いイメージを持っている日本人にとっては、ちょっとびっくりする内容です。
その地方出のカナンの女が出てきて(イエスに向かって)
「主よ、ダビデの子よわたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」
と言って叫び続けた。
しかしイエスは一言もお答えにならなかった。
そこへ弟子たちがみもとに来て願って言った。
「この女を追い払ってください。叫びながらついてきますから」
するとイエスは答えて言われた。
「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」
しかし、女は近寄り拝して言った。
「主よ、わたしをお助けください」
イエスは答えて言われた。
「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」
すると、女は言った。
「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」
(マタイ伝 15章)
ここで、ようやくイエスは彼女の信仰をたたえ、望みをかなえて奇跡を起こします。
イエスがそれ以外の者には遣わされていないと語った「イスラエルの家の失われた羊」とは、ユダヤ人のことです。
ユダヤの王と名乗ったことへの罰として十字架にかけられたイエスは、彼の言葉を忠実に理解するなら、ユダヤ人のみのために活動していました。
たとえユダヤ人がイエスを救世主として認めなかったとしても、イエス自身にとってユダヤ人以外の民は、こぼれたパンくずを拾う小犬にすぎません。
人種や民族に関係なく救われるとする現在のキリスト教の寛大なイメージは、イエスの死後、上のエピソードを拡大解釈した熱心な伝道者たちによってつくられたものです。
神の子イエスがそのために命を懸けたユダヤ民族。
・・・ならば、ユダヤ民族を滅亡させても、奇跡も何も起こらなければ、それはキリスト教の神は存在しないという実証になるでしょう。
イエスは神の子ではなく、単なる古代の思想家にすぎないという証明になる。
まさにニーチェの「神は死んだ」の証明です。
イエスは神の子ではないというキリスト教否定の考えが、虐殺の被害者であるユダヤ教徒のイエス観と同じなのは、なんだか皮肉ですが・・・
(参考記事:「イエス・キリストの実父とは?!ユダヤ教のイエス観」)
ナチスの狂気はナチスだけのものではない
ヒムラーがユダヤ人を滅ぼす前にナチスの旗色は悪くなります。劣等民族とみなしていたスラブ人の国、ソ連に敗北を喫したことを境に戦況は悪化しだします。
ヒトラーに忠誠を誓っていたヒムラーですが、敗色濃厚とみるやヒトラーを裏切り、無断で連合軍との交渉をしようと試みます。
それがヒトラーの知るところとなり、ヒムラーの逮捕命令が出されます。ドイツからも連合軍からも追われる身となったヒムラーは、最後にイギリス軍に捕らえられ、自殺します。
ヒムラーは「神への挑戦」という自分の空想的な野望をかなえるために、大衆人気のあるヒトラーを利用していただけだったのかもしれませんね・・・
日本では、アウシュビッツなどで残虐行為が行われたのは、ナチス幹部たちが異常な人々だったからだと理解されていることが多いです。
ヒトラー人気は、第一次世界大戦の敗北により生じたドイツの貧困が生んだ狂気だと・・・。
しかし、本当はそれだけではありません。
ナチスが政権を取る半世紀以上前から、欧米には進化論に基づく科学信仰の風潮が蔓延していたのです。神よりも科学、そしてそれを生み出す人間の力を信じる姿勢が、ニーチェやナチス、そしてナチスを支持するドイツ国民を生んだのです。
(参考記事:
「ちょっと不安なアドラー心理学。その背景」
「なぜアメリカ人は進化論を信じない? 日本人が知らないその背景」)
ナチスとは神に挑戦した進化論の申し子だったのかもしれません。
<関連記事>
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ユダヤじゃない!父は犯罪者?知られざるロックフェラー家の実像
https://en.wikipedia.org/wiki/Kirchenkampf
https://en.wikipedia.org/wiki/Responsibility_for_the_Holocaust
https://en.wikipedia.org/wiki/Religion_in_Nazi_Germany