日本でも、孔子が山東省の出身であることを知っている方は少なくないでしょう。
しかし現在、孔子の子孫の多くは台湾で暮らしています。
台湾に孔子の子孫が多い理由
孔子の子孫たちが台湾に移住することになった理由は、日本軍も加わった第二次世界大戦の内戦の時代、一族のトップであった孔 徳成が国民党の支援を受けたことによります。
孔徳成は、孔子の77代目の嫡孫です。32代衍聖公でもあります。
衍聖公(えんせいこう)とは北宋からはじまる孔子の子孫の爵位の名前です。代々、嫡流の子孫が世襲してきたといいます。
北宋の時代というと日本では平安時代に当たりますね。千年ほど前ということです。
それほど長いこと、孔子の子孫は中国で特別な地位にあったんですね。
孔 徳成(1920- 2008年)
1935年、国民政府(のちの台湾政府)は清朝の貴族の爵位をすべて廃止しました。32代衍聖公である孔徳成も例外ではありませんでした。
しかし、孔子の子孫である彼には、特別な逃げ道が用意されました。
国民政府は衍聖公の代わりに、「大成至聖先師奉祀官」という公務員としての役職を孔徳成に与えました。この役職は孔子の子孫が世襲で務めることになっています。
現在は孔徳成の孫の孔垂長が継いでいるということです。
そのため、孔子の子孫は中国人たちの間で「最後の貴族」と呼ばれることもあります。
日本軍と交わろうとしなかった孔徳成
孔子の子孫たちはもともと、山東省にある「孔府」と呼ばれる邸宅で、代々暮らしていました。
日中戦争の時代になると、そこに日本軍が訪れるようになります。
日本軍の上官には、孔子を崇拝する人物が多数いました。
(関連記事:「日本軍が中国で起こそうとした孔子革命 驚きの占領の実態」)
そのため孔子の子孫である孔徳成のことも尊重し、たびたび食事会などに招きましたが、孔徳成は応じませんでした。
かわりに孔徳成は、蒋介石と親交を深めます。
日本軍が去ったあと、蒋介石は毛沢東との戦いに敗れて、台湾に国民政府を樹立します。このとき孔徳成も、一族を連れて大陸を後にしたのです。
孔子の子孫だけが就ける仕事ってどんな仕事?
さて、現在も台湾にある、孔子の子孫しか就けない「大成至聖先師奉祀官」という役職、果たして、どのような役職なのでしょう?
位としては、高等文官第一等で、省の主席と同じ階級になります。
そして、その唯一の仕事は、毎年9月28日に行われる台北孔廟の祭を担当することです。
この、たった一日の祭りを取り仕切る仕事により、台湾政府から毎月17~18万台湾ドルが支給されるそうです。
18万台湾ドルは日本円にすると65万3千円ほどです
・・・結構な額ですね。
また「亜聖」とよばれる孔子の一番弟子の顔回、孟子、子思そして曾子の子孫たちもまた、台湾政府から役職をもらっています。彼らは月に12~13万台湾ドルの給料を受け取っているそうです。13万台湾ドルは日本円で47万3千円ほどです。
先祖が偉人だというだけで、いい待遇ですね。
孔子も孟子も紀元前の人物だというのに・・・
中華圏でも羨む人は多いようです。
・・・そして孔子の子孫たちが台湾政府から受けてきた恩恵は、金銭面だけではありません。
受験に失敗した息子を裏口入学?!
過去、孔徳成の長男、孔維益が大学受験に失敗したことがありました。
このとき孔德成は孔子の子孫のメンツを守るために、蒋介石に試験なしで大学に入学させてくれるよう頼みました。
結果、孔維益は、台湾政治大学に入学することになりました。
二番目の息子、孔維寧も大学に合格しませんでした。
孔德成はやはり蒋介石に頼んで、台湾大学の考古学科に入学させました。
そんな父、孔徳成は台湾大学教授の地位につき、中華民国および台湾の考試院院長も務めたといいます。
考試という言葉は日本語の「試験」「入試」にあたります。
千葉にある麗澤大学の名誉博士の地位にもありました。
・・・なんだか微妙な気持ちになりますね(・ω・)
国民の批判を受け、立場は縮小
台湾人の間でも、孔子の子孫たちに対する台湾政府のこうした優遇には、批判が起こりました。
そのため李登輝の時代になると、大成至聖先師奉祀官のための部署は廃止され、役職が残るのみとなりました。
周囲からレッテルをはられることを恐れて、孔子の子孫であることを隠したがる子孫たちもでてくるようになったといいます。
現在、台湾には3千人ほどの孔子の子孫が暮らしているそうです。
http://cul.qq.com/a/20131212/013080.htm
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