1990年代に、アメリカ人男性と一緒に働く機会がありました。
当時、彼は32歳。
新人だった私の、すぐ隣の席でした。
私にとっては、白人を至近距離で継続的に見る初めての経験でした。
髪の毛は、見事に毛根から金髪・・・
腕に生えるムダ毛さえ金髪でした。でも、やっぱり毛深さは日本人と段違い( ゚Д゚)
目も、本当に青かったです。宝石のように透き通った青さ。
でも、東洋人には当たり前の瞳のキラキラ感がない。
昔の日本人は白人の青い目のことを「死んだ魚の目のよう」と表現したと「ドラえもん」で読みましたが、本当にそんな感じなんだと思いました。
日本の少女漫画のデフォルメされたキラキラ目って、意外に写実だったんだなともw
奥さんが日本人だそうで、日本語は堪能でした。
もともとはキリスト教の宗教団体の布教活動の一環としてアジアに来たそうです。
最初は中国に行って、そこでとても好きな中国人女性ができたそうですが、ふられて、その後、日本で今の奥さんと知り合い、結婚したという・・・。
そんな余計なこと他人の私に言わなくてもいいのに( ;∀;)
結婚後、しばらくは夫婦でアメリカに住んでいたものの、奥さんがアメリカでの生活になじめず、日本に来たという話でした。
まだ幼い、男の子と女の子の子供がいました。
奥さんは病気がちで、家事もあまりできない状態だそうで、生活は苦しそうでした。
仕事ぶりは・・・
実際のところ、困った人でした。自分の好きなことしかしない。計画性もない。
とりあえずホームページを作るという仕事が与えられてましたが、日々、フォトショップやExcel、HTMLで好き勝手なものを作って遊んでました。
上司の日本人は相手が外国人だという遠慮があるのか、何も言いませんでした。
正直、「中国ではびこる「レンタル白人」とは?」における白人と同じ役割を求められていたのかもしれません。
その分、時間はたくさんあったので、いろいろな話を聞くことができました。
ある朝、出勤したら、突然あなたの席はもうないと言われ、実際にデスクがなくなっていたとか
アメリカ人:「英語に決まってるね」
二人の子供たちの英語教育には、生まれたときから気を配っていたという。
しかし、日本の幼稚園に通わせていたため、次第に英語ができなくなっていると言っていた。
聞き取りはできるが、英語で質問すると、日本語の答えが返ってくるようになったとか。
アメリカ人として英語ができないのは恥だと言っていた。
けれど「インターナショナルスクールは高額すぎて、とても通わせられない」と
一年ほど一緒に過ごした後、彼とは職場が離れました。噂によるとのちに退職し、シンガポールでの仕事についたそうです。英語を学ばせるため、お子さんも連れて行ったのかな?わかりませんが。
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