「若い世代ほど知ってほしい トヨタ以上だった日本の栄光 ソニーの凋落(上)」の続きです。
日本の栄光 ソニー凋落のはじまり
ソニーを大きく傾かせたのは、95年から社長になった出井伸之氏と、その後を継いだハワード・ストリンガー氏だといわれています。
確かに出井・ストリンガー体制が、ソニーの大きな凋落、そして変貌の時期だったのは確かです。
ソニーの凋落を、出井伸之氏の責任とする意見は過去も現在もよくみられます。
出井氏が社長になってなければ・・・という意見すらありますね。
でも、私は、出井氏が社長就任した時期のソニーと、それを取り巻く雰囲気を思うと、
たとえ出井氏がいなくても、似たような人物が社長に選ばれたのではないかと思うのです。
そして、似たり寄ったりの結果になったのではないかと・・・。
出井氏が社長に選出された90年代半ば、ソニーの商品はすでにデザイン重視になり、画期的なものは少なくなってきていました。
世間からスマートでスタイリッシュといわれるブランドでありたいという意識にとらわれていて、
「たとえ馬鹿にされても、うちはこんなのを出したいんだ」
みたいな、ある意味「ビジョンを持つ」商品は、あまり出なくなっていた印象です。見栄っ張りでエリート意識ばかり強い、浮わついた企業といったイメージも付き始めていました。
(2000年頃のソニーは)デジタル社会の進展のスピードに技術開発がついていけなかったのか、薄型テレビへの取り組みの遅れなどで、エレクトロニクス事業の「技術力の低下」「商品開発力の低下」を指摘されていた
「ソニーショックはこうして起きた!甘い認識に市場の洗礼」 zakzak
こうした弱体化を見透かされていたのか、2003年、突然の株価の暴落「ソニーショック」が起こります。
出井氏就任から8年ほど過ぎた頃のことでした。
2003年4月に株式市場で「事件」が起きる。東証でソニー株が急落したのだ。
投資家など市場関係者にとって「ソニー」という銘柄は特別な響きをもっていた。日本の成長を支えてきたハイテク企業のシンボルであり、国際的な高い技術力と競争力をもち、世界に広く認められた「超ブランド企業」との認識が強くあった。株式市場では「困ったときのソニー頼み」という格言があるほどだった。
その超優良株が一斉に売り浴びせられた。狼狽売りもあった。ソニーがダメなら、あれもこれもと、電機株、ハイテク株、果ては銀行株まで売られ、市場は売り一色の様相となった。「ソニーショック」だった。
「ソニーショックはこうして起きた!甘い認識に市場の洗礼」 zakzak
出井氏は富裕層を狙った高価格帯のクオリアブランドを立ち上げます。
そして、ソニーはブランド力にたよったハイエンドな商品の開発に進むようになっていきました。
2006年に発売されたプレイステーション3も映像の美しさを売りにしていました。
しかし映像や音響の品質の良さというものは、一般人にはあまりわかりません。消費者からの反応が少ない割に、開発費はかかる方向です。
実際、ゲーム機においては、より安価でアイデア性の高かったライバル任天堂のwiiのほうが広く普及しました。
アイデンティティを失ったソニー
エレクトロニクス企業としてのソニーは、行き詰まっていきます。
しかし90年代まで人気企業だったソニーは、東大はじめ日本屈指の高学歴な人たちが多く入社し、高給を得ている会社でした。
「日本の誇り」ソニーを信じて人生設計を立てていた彼らにとって、減給など、考えたくないことだったでしょう・・・
・・・そしてソニーはとうとう、お金に囚われすぎた企業がよくやる手段に手をつけます。
金融部門への肩入れです。
出井体制の下で、ソニー生命の100%子会社化、ソニー銀行の立ち上げといった金融事業は早くから進んでいました。
ソニーショックの後、出井氏はソニーフィナンシャルホールディングス株式会社を立ち上げ、これら金融部門をひとつにまとめます。
国内で、これらソニーの金融企業のCMが頻繁に見られるようになりました。
その後も続くエレクトロニクス分野の不調の埋め合わせ、
音響、カメラなど、ハイエンド商品の研究開発費、
そして落としたくない社員たちの高給
―――これらを手っ取り早く賄える金融部門の重要性は、ソニーにおいて、年々高まっていきました。
2018年のネット記事でも、有価証券報告書からして、金融事業がソニーの利益の約半分を占めるとあります。
当然ながら、金融に力を入れるほど、メーカーとしてのブランドはあやふやになっていきます。
出井氏は退任時、ソニー米国の会長兼CEOだったハワード・ストリンガー氏を自分の後継者に選びます。
欧米企業出身のビジネスマンに経営権を渡すのは、日産と同じですね。
しかし、もともと欧米志向の企業風土だったソニーにおいては、日産とゴーン氏のような相乗効果、今時でいうシナジー効果は生じませんでした。
(関連記事:「ゴーン氏という「なろう系主人公」 日産問題を考える」)
またストリンガー氏は、海外事業には明るかったものの、ソニーのメーカーとしての面には、あまり関心がなかったといわれています。
在任7年の間、ストリンガー氏はリストラを繰り返し、それでも成果は出ず、赤字を重ねる結果になりました。
顔のない海外事業 コスモポリタンの成れの果て
ソニーはもともと欧米志向の強い企業でした。
過去、半世紀近くに渡って、映画、金融、音楽部門とさまざまな欧米企業を、さかんに買収してきました。
大ヒットしたスパイダーマンの映画がアメリカ・ソニーピクチャーズの作品であることは、よく知られていますね。
米ソニー・ミュージックにはビヨンセも所属しています。
スパイダーマンは、ご存知のとおり、長い歴史をもつアメリカ生まれのキャラクターです。ビヨンセも英語で歌うアメリカの歌手ですね。
アメリカ企業がポケモンGOというゲームを作っても、ポケモンが日本のもので有り続けるように
ソニーがスパイダーマンやビヨンセで儲けても、それらがアメリカのものであることに変わりはありません。
米ソニー・ピクチャーズにはアメリカで展開しているソニー・クラックル(Sony_Crackle)というストリーミング・サービスがあります。買収してすでに10年以上になります。
wikiによると、この会社のパートナー企業は21社ありますが、アニプレックスと東映以外はすべて、アメリカはじめとする欧米企業です。
またインドでもソニー・リブ(Sony Liv)という同様のサービスを展開しています。wikiでわかる放送内容は、みな現地の人による現地向けのものばかりです。
映像だ音楽だといっても、実際はソニーと共通点の少ない外国人たちに、お金を提供して活躍の場を与えているだけ・・・
やってることは、まさに「金融業」ですね。
お金さえあるなら、ソニーである必要は全くない事業ばかりです。
企業の会計的にはさほど悪くなくなったにもかかわらず
世界の多くの人が今のソニーに失望を感じているのは
ソニーがかつてのような「文化の発信者」ではなくなったからでしょう。
ソニーはある意味、望み通りアメリカの一部になりました。
でも、世界中の人が憧れたあのSONYは、もうないです。
ソニーは何を見誤ったのか
ストリンガー氏が経営に失敗し赤字を連発してたときも、ソニーは彼の役職報酬として年に4億~8億円強もの額を払い続けたことが報道されました。
退任した後も、彼を厚遇し、取締役会議長の席を用意しました。
ストリンガー氏の弟も一昨年から、アメリカのソニー・ミュージックエンタテインメントのCEOの役職についているといいます。
ストリンガー氏が在任していた頃、ソニーでは取締役レベルでさえ、英語ができるかどうかが、出世の決定打になるという話を読んだことがあります。
ストリンガー氏の次にCEOになった平井一夫氏はアメリカ育ちで、英語がネイティブ並でした。そのため、彼はストリンガー氏とのコミュニケーションが得意で、ストリンガー氏のお気に入りだったという情報を見たことがあります。
英語が得意な人が集まっているソニー幹部は、日産と違って、ストリンガー氏の持つ異文化のやり方に反発を持つ人はいないようです。むしろ、たとえ対等でない関係であっても、ついていきたいと考えていたように見えます。
(関連記事:「ゴーン氏という「なろう系主人公」 日産問題を考える」
昭和世代の間には、
英語ができるほど、憧れのアメリカやヨーロッパの人々に近い存在になれるという幻想がありました。
欧米人たちの間に溶け込みたい、仲間として扱われたい、それゆえに英語ができるようになりたい・・・ソニーが最も成功していた時代には、そんなふうに考える日本人が多かったです。
バブル期~90年代の日本人が安価で簡単に学べるアジアン・イングリッシュより、クィーンズ・イングリッシュを習いたがった件も、そうですね。
(関連記事:「バブル期に日本は何をしくじった?~迷走した英会話ブーム」)
でも欧米含む世界からみたら、本当に重要なのは、
「私たち日本人には、なにができるか?」
「他にない特別なものを持っているか?」という点なのです。
英語なんて、その持っている中身を広めるためのツールにすぎません。
実際、社長含め英語ができない社員ばかりだった時代のほうが、ソニーは圧倒的に成功していました。憧れの的でした。
そして世界には、英語ができて、西欧の価値観によりそってきたのに、貧しいというフィリピンのような国もいくつもあります。
(関連記事:「白人の真似ばかりの国 フィリピンは日本の未来か?」)
高度成長期、ソニーを伸ばしたものは欧米への憧れでした。
しかし、後にソニーを破壊してしまったのもまた、欧米への憧れでした。
自らを育んだ足元を見ず、憧れを追い続けるうち、自らの芯を失ってしまった・・・。
それは高度成長期から現在にいたる、日本全体にもいえるかもしれません。
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