消えた日本の伝統工芸品「水中花」
中国の方からお土産にお茶をいただきました。
玫瑰花茶(メイクイファチャア)というそうです。
一見、桜茶に似てますが、バラのようないい香りがします。
バラの仲間のハマナスの花を乾燥させてつくられているそうです。
この花の姿を見ているうち、昭和の時代、自宅で楽しんだ水中花を思い出しました。
水の中に入れると紙製の花や葉が開く、安価な工芸品です。
紙製なので、一回使ったらそれきりだと、当時、家族に教わりました。
現在、高度成長期を知る世代の多くは、昭和50年代、女優の松坂慶子さんの歌う「愛の水中花」が大ヒットしたことを覚えていると思います。
当時、水中花が何か知らない人はほとんどいなかったでしょう。
そのぐらい、ありふれた工芸品でした。
しかし、不思議と見なくなりました。
明治期には欧米からも求められる工芸品だった
検索したところ、ポリエステル製の水中花は現在もあちこちで売られています。
しかし昭和の頃に普及していた紙製のものはほとんどありません。浅草の「江戸屋」と相模原の「海福雑貨」で売られているのみだそうです。しかも扱われているのは昔作られたものの未開封品です。欧米向け輸出用の品を運よく手に入れたとか。もちろん表記は「Made in Japan」です。
あらためて、水中花とはどんなものなのか調べてみました。
水中花とは、水槽や花瓶などの水の中に入れて鑑賞を楽しむ紙の造花です。紙と言ってもただの紙ではなく、通草木(紙八手=カミヤツデ)という草から作られた通草紙が使用されています
「海福雑貨」
【平凡社 世界大百科事典】水中花:
ヤマブキの茎、タラノキの芯(しん)や細かい木片を彩色して小さく圧縮した細工物。江戸時代に中国から渡来したものらしい。延宝年間(1673‐81)のころから酒席の遊びとして杯に浮かべて楽しんだので、〈酒中花〉あるいは〈杯中花〉ともよばれた。
http://www.geocities.jp/kinomemocho/kiasobi_underwater_flower.html
水中花(「海福雑貨」より)
上記の引用元によると、長崎あたりから全国に広まり、1695年の井原西鶴の作品にも描かれているようです。
中国から渡来したらしいとありますが、現在、百度のような中国の検索エンジンで杯中花、酒中花で検索しても、日本の水中花のような工芸品は全く出てきません。現在、30代の中国人の方に尋ねても、全く知らないとのことでした。
上記の輸出先だった英語圏でも、日本の工芸品として知られているようです。もちろん海外では作られていません。
あの水の中で花開く紙製の水中花は、日本独自の伝統文化である可能性が高そうです。
日本人の世代交代が水中花を滅ぼした?
水中花の減少について気になったのは、私だけではなかったようです。
2016年春、「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」で、丁度この水中花についての特集がありました。
放送内容をまとめていたサイトから、以下抜粋してご紹介します。
水中花を製造している場所を調査すると和歌山・海南市で作っている人物が見つかった。キンタローがその人物・和歌真喜子さんの家を訪れた。そして倉庫にある40万個分の水中花の材料を見学。つづいて和歌さんが水中花の作り方を実演した。水中花は通草紙を使い水の中でパッと広がって3年以上長持ちする。また高野山の万年苔も使用される。
水中花の材料の通草紙の原料・通草木は台湾の天然記念物となり手に入らない。また高野山の万年苔も採取が禁止されている。
所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ! 『世界が絶賛!東京の巨大地下工事に潜入SP』 2016年3月25日(金)テレビ東京 http://kakaku.com/tv/search/keyword=%E5%92%8C%E6%AD%8C%E7%9C%9F%E5%96%9C%E5%AD%90/
高野山の万年苔?昔見た、誰でも買える工芸品だった水中花に、そんな御大層なものはついていませんでした。
調べると、万年苔は古い時期に一部で使われていたことがあるだけのようです。
もっとも、肝心なのは通草紙の方です。普通の紙だと水の中では開きません。
材料はたくさんあるが、技術が失われた
この番組の説明だと、まるで台湾が通草木を天然記念物にしてしまったことが原因で、水中花が作れなくなったみたいな印象をうけますね。
ところが、実は日本には、その原材料である通草木が、今もたくさん生えてるのです!
以下の記事は「カミヤツデ」という植物について書かれています。カタカナ表記すると別の植物のようですが、読んでいただけるとわかるように本来の名は「通草」です。
カミヤツデ:湯河原で増殖 外来種、生態系を崩す恐れ /神奈川
◇専門家「今のうちに駆除必要」
湯河原町で外来植物の「カミヤツデ」が増殖し、生態系のバランスを崩すことが危惧(きぐ)されている。カミヤツデは広い葉を持ち、群生すると葉の影になった下層部の植物への太陽光を遮り、枯死させてしまう恐れがあるという。冨田幸宏町長は「森林も大切な観光資源。これを守る意味でも、周知や駆除など問題提起をしていきたい」と話している。県立生命の星・地球博物館(小田原市入生田)によると、カミヤツデは台湾や中国南部が原産。南国的な雰囲気から観葉植物になり、伊豆半島などでは造花の材料「通草紙」を作る原料として植栽されたこともあるという。しかし、セルロイドの登場で需要がなくなり、野生化したものもあるとみられている
http://nandemoodawara.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-bb87.html
>造花の材料「通草紙」を作る原料として植栽された
と、ありますから、やはり日本にも通草紙の製造技術はあったのでしょう。
そうでなければ、鎖国してた江戸時代に水中花が流行するはずありません。
つまり、今も日本に材料は、駆除を考えなきゃいけないほどたくさんある。
しかし、紙を作れる「人」のほうが、いなくなってしまったのでしょう。
技術を後世に伝えることがなかったのか・・・(-_-;)
これでは「水中花」という伝統工芸は絶滅するかもしれません。江戸時代から続く日本文化だというのに・・・
新しもの好きな日本人 その後に残るもの
日本人は新しい時代、新しい流行といわれるものに、皆で一斉にバッと飛びつきます。
その勢いは物凄いです。だから一気に発展する。
でも、それまでしがみついていた古いもののことは、持ってることが恥ずかしい、新しい流れに乗り遅れたら負けてしまうとばかりに打ち捨ててしまう・・・。
そして、その後、突き進んだ先が失敗へのルートと気づいたとしても、もう引き返せなくなってしまっているのです。元いた足場を捨ててしまった後ですから。
トキやコウノトリが絶滅したのも、明治期の歯止めのない乱獲のせいです。
西洋からきた銃などの新しい技術で狩りをしたい、皆がやってるのだからと、短期間に一気に乱獲してしまった。
現在、日本にいるトキやコウノトリのルーツは日本産の生体の絶滅後、中国やロシアから譲り受けたものです(-_-;)
(コウノトリの歴史
http://www.city.toyooka.lg.jp/hp/genre/project/history.html)
江戸時代までの歴史をみると、ここまで突っ走る国民性ではなかったように感じるのですが・・・
(-_-;)
幸い、中国では現在も通草紙の製造技術は保持されているようです。
アリババで見つかる通草紙を扱う企業リスト
https://s.1688.com/company/-CDA8B2DDD6BD.html
とはいえ、上記アドレスをご覧いただければわかるように、中国での通草紙の使い方は普通の造花や絵画用などで、日本の水中花と同じものは見つかりません。
やはり日本人が守らないと水中花は滅んでしまう可能性が高いです。
しかし和歌さんのような方が製造方法を後世に伝えて下されば、通草紙の製法をもう一度学びなおすことができれば、ひょっとしたら滅ばないですむかもしれません。
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