バブル期~90年代の豊かだった日本。留学ブーム、英会話ブームときたら、当然、海外旅行ブームもありました。
そして当時人気の海外旅行先も留学先と同じく、激しく欧米に偏ってました。
鉄板はハワイ、グァム、サイパン。グァムもサイパンもアメリカ領なのは言うまでもありませんね。
少しお金に余裕がある人ならアメリカ本土、オーストラリア。もっと余裕がある人ならヨーロッパ。
「天国に一番近い島」というヒット映画のキャッチコピーの下、ニューカレドニアも人気がありました。
今の日本では気軽に行ける台湾、韓国が人気ですね。
しかし信じられないかもしれませんが、当時の若い日本人にとって韓国や台湾はほとんど眼中にありませんでした。
私なんて、韓国と台湾がどこにあるのかはっきり知ったのは21世紀になってからです。
第二次ベビーブーム世代の生まれですが。
90年代、アジアならバリ島はじめ東南アジアが人気でした。でも当時の風潮の中、敢えてアジアに旅行となると、やはり買春のイメージが強かったです。水商売で働く出稼ぎフィリピン人女性もとても多かった時期です。
バブルの華!ハワイでの挙式
バブル期~90年代にかけて、日本ではハワイのチャペルで挙式することが大きなブームになりました。
親族分の旅費も出さなくてはいけないので大変!などと、よく話題になったものです。
今でもハワイでの結婚式はそこそこ人気があるようです。しかも、ここ数年は少し増加傾向さえ見えるといいます。バブル世代の子どもたちが適齢期になってきたことも関係してるのかもしれませんが。
しかしバブル頃のブームと違う点は・・・
「海外挙式を申し込んだ若いカップルのなかで、“海外が初めて”という人が増えている。」
トラベルビジョン
・・・日本以外の国は全く知らないけれど、なんとなくかっこいいハワイ・ウェディングはしてみたい・・・イメージ先行で動くバブル時代のノリが、一部の若い世代にも受け継がれてるのかもしれませんね。
日本に定着 チャペルでの挙式
ハワイに行く余裕がない人も、多くはチャペルを使った洋式の結婚式を望みました。
リクルートの結婚式場情報誌ゼクシィの発刊は1993年。発売されると同時に、この雑誌は、大人気となりました。
花形はやはりチャペルウェディングでした。
広告を出している式場は、教会にかぎらず、ホテルだろうが、レストランだろうが、チャペルで結婚式を挙げられることを売りにしていました。
伝統的な神道式の結婚式も挙げることはできましたが、大体は普通の式場が用意する、チャペル含む選択肢の一つでした。
神社など神道専用の式場の掲載量はチャペル式と比べると、ほんのわずかでした。
6月に結婚すると幸せになれるというジューンブライドの言葉が日本に根付いたのも、この頃です。結婚式で花嫁が青いものを身につけると幸せになれるという欧米の迷信(サムシング・ブルー)も、やはりマスメディアを通して有名になりました。
今や日本でチャペルのない結婚式場など皆無でしょう。すっかり日本の習俗として根付いたようです。
ちなみに台湾では、日本と違ってチャペル結婚式の人気はないようです。昔ながらの結婚式を行い続けているとか。
キリスト教徒の多い韓国でも、キリスト教徒しかチャペルでの結婚式は行わないと言われています
日本と同じく西側諸国の価値観の影響を受けてきた近隣国なのに、不思議ですね。
結婚式のファッション化
日本人は、なぜそんなにチャペルで結婚式を挙げたがるようになったのでしょう?
当時を知る一人としていわせてもらえば
九割方、テレビ、映画、漫画、アニメの影響かと思います・・・
なんとなく
「おしゃれ」
「かっこいい」
「ロマンチック」
あと
「芸能人がやってて憧れた」
「友達がやってた」
・・・多分それだけ。
マスメディアの流す断片的な知識に基づいたイメージ、要するに虚構への憧れです。
ウェディングというイベントの主役になることには憧れてきたけど、その後に続く長い生活についてはあまり考えなかった。挙式と新婚旅行を終えて、現実を突きつけられたら、急にいやになって離婚したくなるというわけです・・・
90年代はじめ、私の知人が、やはりチャペルで結婚式を挙げました。
そのチャペルのある教会は都内でも人気の挙式場で、当時は一年前からでないと予約ができなかったそうです。
教会側は前もって彼らに、キリスト教を知らない者の挙式を教会で挙げさせることはできないと知らせていました。
当然といえば、当然ですね。
そこで知人カップルは一ヶ月ほどかけて教会で行われるキリスト教の講義を受けました。他にも参加している挙式希望カップルがたくさんいたそうです。
その後、知人カップルは無事にその教会で結婚式をあげることができました。
もちろん、二人がその後、キリスト教徒になることはありませんでした。
当時は実にありふれた話でしたので、ふーんって感じで何の感想もありませんでしたが・・・よくよく考えてみると、どうでしょう?
もし、日本に在住するアメリカ人やインド人が「神道に興味はないし信じてもいない。でも、どうしても憧れの日本の神社で結婚式をしたい」と言ってきたら、日本人としてどう思いますか?
・・・日本人にとって、結婚式が儀式からファッションに変わってきたのが、ちょうどこのバブル期~90年代だったかもしれません。
宗教から離れたものになってきたのも・・・
当時、「人前結婚式」というものが話題を呼びました
神仏や宗教というものと無関係に、当事者が親しい人たちの前で結婚を誓い合うかたちの結婚式です。
ゼクシィにも広告が掲載されたりしました。
ちょっと文化大革命の頃の中国の結婚式みたいですね。
注目なのは、日本の場合、国の制度ではなく、自発的にそれを選ぶ人たちが出てきた点でしょう。
結婚の形骸化と不倫ブーム
日本人にとって、結婚というものが人と人の見えない縁を結んだり、先祖や神仏に誓いを立てるものというより、生物学的な男と女の同居公認式になってきたのが、この時期だったのかもしれません。文字通り「紙切れ一枚」の重みになってきた・・・。
こうした時代の変化を受けてか、90年代半ばに不倫ブームがやってきます。
バブル期以降、個人の恋愛や幸福の成就を、それまでに築いた家庭や子供のために犠牲にする必要などないという価値観が、社会に広まりだしていました。「東京ラブストーリー」で有名な柴門ふみさんの漫画が人気を得たのも、その表れかもしれません。
そして、故 渡辺淳一さんの「失楽園」が大ヒットします。
美しいうちに死にたい、生き続けて老いて醜くなりたくないという動機で人生を決めるこの作品のヒロインは、非常にこの時代を象徴していたかもしれません。
(関連記事:「バブルは日本をどう変えた?老いに向き合えない日本人」)
また日本経済新聞での連載を通して、当時、社会的地位が高かった男性たちの間でも、この作品が人気を集めたことが世間の関心を呼びました。
90年代は上から下まで、そんな感じの人が多かったです。
日本の富はどこに消えたのか?
ゼクシィには宝石店の広告も大量に掲載されていました。
当時は結婚指輪、婚約指輪、結納返しのアクセサリーとして、カルティエ、ティファニー、ハリー・ウィンストンなどが人気を集めました。
今なら当たり前に聞く、ヴィトン、バーバリー、プラダといった、これら欧米ブランドが一気に日本で幅をきかせだしたのが、このバブル期以降です。
高度成長期まで、日本人の誰もが知ってる欧米高級ブランドなんて、シャネルぐらいのものでした。
ハリー・ウィンストンの指輪に憧れ、白いチャペルを抱く青いハワイの海を目指したバブル~90年代の日本の若者たち・・・
彼らが欲したのは、彼らを育んできた日本の文化に、全く縁のないものばかりですね。
そして日本人がバブル期に手にしたお金を好んで注ぎ込んだ先が、アメリカをはじめとする欧米――つまり縁もゆかりもない異人種の国や企業だったことは言うまでもありません。
エンパイヤーステートビルやロックフェラーセンターなど、アメリカ一等地のビルを購入した件、
ゴッホなどの名画を購入した件も、そういうことですね。
日本人はどちらも高値で買って、安く買い叩かれる形で手放すことになりました。
もちろん、どこからも強制されたわけではない。日本人が高度成長期以降、勝手に西欧諸国に憧れて、自ら望んでそうしたわけです。
「一方的」なテレビの魔力
日本人の西欧諸国への強い憧れが生まれる上で、立役者を演じたのが、テレビという20世紀の文明が生んだ装置です。
高度成長期以降、多く輸入されてきた欧米ドラマ、映画に影響をうけた日本人にとって、北米やヨーロッパは親しみの持てる地域です。
(関連記事:「戦後の日本人の原風景はアメリカドラマ」)
日本人が描く漫画やアニメにも金髪碧眼の白人風キャラクターは頻繁に登場しますね。
けれども欧米人のほとんどにとって日本人は、人種も文化も歴史も共通点が少なく、縁遠い異民族のままです。
彼らが目にするメディアに、日本人は殆ど登場しませんから。
ソニーの電化製品が人気を集め、ポケモンが受け入れられても、それらと日本人の姿形や日本文化を結びつける人はあまりいません。
日本人とアメリカ、ヨーロッパ・・・
まるで自分の稼いだお金の大半をアイドルに注ぎこむファンと、ファンの顔も名前も知らず、知る気もないアイドルのような関係です。
テレビというものが普及したタイミングが敗戦後でなかったら、日本人の欧米への意識もまた違っていたのかもしれません。
そして、バブル期~90年代にあった富も、もっと国内に多く残っていたかもしれません・・・。
地に足のつかない「バブル」な繁栄
バブル期~90年代までの豊かだった日本人は多くがフワフワした夢と憧れの中にいました。先祖が与え、自分らを育てた日本文化に目をむけず、テレビや雑誌が与えてくれるキラキラした西洋イメージを追いかけた・・・。
今でもたまに、こうした人を目にすることがあります。
バブル期を語る人たちの目が輝くのは当然なのです。当時の彼らは地に足がついてない世界にいたのですから・・・
「バブル」景気とは、よくいったものです・・・
そして、今や、そんなバブル期の思い出を語る人たちの頭髪に白髪が交じることも、当たり前になってきました。私自身を含めて。
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