前回、米軍が使った日本人と中国人を見分ける決定的な方法で紹介した
「How to spot a Jap」の本中に以下の部分があります。
”Thousand stitch belt”
これ千人針縫いのことですね。
千人針(せんにんばり)は、第二次世界大戦まで日本でさかんに行われた、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作る祈念の手法、および出来上がったお守りのこと。日中戦争から太平洋戦争にかけて日本全国に普及していった。街頭で、通行中の女性に縫い取りの協力を求める光景は、戦時下の日本を象徴する風俗となった。 wikiより
私が千人針を知ったのはヒストリーチャンネルで放送された
イギリスか北米かはっきりしませんが、連合国側で制作された
第二次世界大戦のドキュメンタリーシリーズの日本編でした。
ナレーションは英語で、下部に日本側がつけた日本語字幕が表示されるのですが
日本人へのインタビュー部分はそのまま日本語で流していました。
その中に、千人針を縫ってもらったときの気持ちを語った元兵士の言葉がありました。
"自分は女を知らずに戦地に行く。そして死ぬかもしれないのだ。(千人の女が自分のために縫ってくれるなら)一人ぐらい、やらせてくれたっていいじゃないか"
・・・ちょっと、絶句しましたね。日本で制作したドキュメンタリーだったら絶対に入れなかった言葉でしょう。
中学、高校の歴史でも習いますが
大日本帝国で、兵役の義務があったのは家督を継ぐ必要がない長男以外の男子です。
戦前、こうした人たちは、どういう人生を送ったのでしょう。
裕福で余裕のある家に生まれたものは分家させてもらうこともありました
優秀な者、高等教育を受ける機会に恵まれた者は、都会に出て就職し、成功するものもありました。
貧しい農家に生まれても、運よく他家の婿養子になることができた者もいました。
けれど、江戸時代の部屋住み同様に、一生独身のまま過ごす人も多かったのです。彼らは家の仕事を手伝い、都会に出れば期間労働者として働き、赤紙が来れば召集されました。
長野県の一部では「おじろく・おばさ」いう風習があり、昭和まで残っていたといいます。
(「おじろく・おばさ」は)家庭内での地位は家主の妻子よりも下で、自分の甥っ子や姪っ子からも下男として扱われる。
戸籍には「厄介」とだけ記され、他家に嫁ぐか婿養子に出ない限り結婚も禁じられた。村祭りにも
参加できず、他の村人と交際することも無かったため、そのほとんどが一生童貞・処女のままだったと
推測される。将来の夢どころか趣味すらも持たず、ただただ家の仕事をして一生を終えるのである。http://matome.naver.jp/odai/2138257786959245901?&page=1
JETRO(日本貿易振興機構)のサイトにはこうした意見もあります
農家の下男・下女になる以外に道のない農家の次三男対策として大きな活路を開いたのは「満蒙開拓」であった。この「貧困対策」が大東亜戦争・太平洋戦争への推進力となっていくのである。
妻も子もいた「永遠の0(ゼロ)」の主人公は当時としては恵まれた環境にいた人だったんでしょうね。
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