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日本ではユダヤ系と思われがちなロックフェラー財閥。
しかし実際はユダヤ系ではありません。
そして、創始者ジョン・ロックフェラーと、その放埒な父は、まるでドラマのように対照的でおもしろいです。
ロックフェラーとはなにか?それはESSO
ロックフェラーはアメリカ五大財閥の筆頭です。一族は現在も大きな影響力を持っています。
ジョン・ロックフェラーと、その弟ウィリアムにより始まりました。彼らは1800年代後半にスタンダード・オイル社を創業して成功し、石油王とよばれていました。
スタンダード・オイルといわれても現代人にはピンときませんね。実は石油メジャーの最大手、エクソンモービルのことです。
スタンダード・オイルは1911年に独占禁止法により分割され、そのうちの一部が現在のエクソンモービルになりました。
ESSOのロゴの後半部分である「SO」はStandard Oilの略なのです。
1800年代後半からのアメリカは電機、自動車、機械といった工業が非常に栄えた時代でした。
燃料にも製品づくりにも石油を必要としました。
この時代に石油を司っていたロックフェラー兄弟は大変な利益を得ました。兄のジョン・ロックフェラーは現在もアメリカ歴代最大の富豪とされています。
ジョン・ロックフェラー
弟のウィリアム
ロックフェラー家はユダヤ系ではない
まだネットがなかった昭和の時代、一部の書籍により、ロックフェラー家がユダヤ系であるという誤情報が広まったといわれています。
そのせいか日本では、ロックフェラー家の知名度は高いものの、いつも何やら(日本にとって不利な)陰謀をめぐらしてる謎めいたイメージを抱かれることが多いですねw
しかし英語版の情報をみると、実際のロックフェラー家は、全くユダヤ系ではありません。
どうも日本では、ヨーロッパにある本物のユダヤ系の財閥、ロスチャイルド家と混同された情報が広まったというのが真相のようです。
私自身、日本語の情報を見てユダヤ系なのだと信じていた時期がありました・・・日本人、いいかげん(^^;
ロックフェラー家の本当のルーツは?
アメリカ国内では、長年、ロックフェラー家はフランス系だと噂されていたそうです。
しかし近年の遺伝学研究で、創始者ジョン・ロックフェラーの父はドイツのラインラント地方にあるノイヴィート市にルーツをもつ家系と判明しました。先祖は1700年代前半に、まだ植民地だったアメリカに移住してきました。
父方の祖母もまた、ピューリタンの流れを組むイギリス系の古い家系です。
母方はスコットランド、アイルランドにルーツを持つプロテスタントの家系です。
アイルランドはカトリックの国ですが、こうしたゴールドラッシュ前の移民は、カトリックの強い自国を逃れて新大陸をめざしたプロテスタント信者が中心でした。
(関連記事:「なぜアメリカの真似をする国は失敗するのか?理由は2種類の白人たち])
もちろん今日もロックフェラーはユダヤ教徒ではなく、キリスト教徒の一族です。
そしてユダヤのロスチャイルド家は知りませんが、
アメリカのロックフェラーは、以下の歴史をもつ、どちらかというと泥臭い一族です。
大富豪を生んだ嘘つきでろくでなしの父
財閥の創始者ジョン・ロックフェラーは6人きょうだいの2番目です。上には姉、すぐ下に、共同でビジネスを成功させた弟ウィリアムがいます。
(日本語wikiには兄フランクがいるとありますが、英語版によるとフランクは末弟です。
フランクについては→関連記事「現代人に刺さる!ロックフェラーの知られざる不運な弟の話」)
・・・そして彼ら兄弟の父は、とんでもない人物でした。
家政婦の愛人との間に隠し子
ロックフェラーの父親ウィリアム(通称ビル)は、妻イライザと結婚する前から、家政婦のナンシー・ブラウンと恋愛関係にありました。しかしイライザの父が彼女に少し財産を渡すときいて、イライザとの結婚を決意します。
結婚後もビルとナンシーは関係を続けました。妻イライザが長女とロックフェラーを生んだ時期の間に、ナンシーは女児を出産します。そしてロックフェラーと弟ウィリアムが生まれる間にも、もうひとり女児を出産します。
一人目の娘は夭折しましたが、二人目は名をコーネリアといい、1840年に生まれた以外のことは不明となっています。
大富豪ロックフェラーの異母妹・・・謎につつまれた存在です。
問題の多かった父ウィリアム(通称ビル)
放浪癖があり家によりつかない
妻イライザとの間に6人もの子をなした父親ビルですが、放浪癖があり、家にあまり戻りませんでした。
もともと貧しい農家の家に生まれたビルでしたが、農業にはまったく興味を持ちませんでした。医学知識がないのに「植物の医師」を名乗り、薬の行商をしていましたが、それだけでなく、馬の売買をしたり、農民に金をかしたり、地上げのようなこともしていたといいます。
この時代のアメリカは主婦が外で働くことが一般的でありませんでした。子沢山で夫のいない家の切り盛りをする妻イライザは倹約につとめました。そしてバプテスト派の信仰にうちこみます。
ロックフェラーも家事を手伝う傍ら、キャンディやポテトを売ったり、友人に金をかしたり、七面鳥を育てることでお金を稼ぎました。
そんな父でしたが、家に戻ると、大金を持ち帰り、ダイヤモンドを身に着け、王子のようにきらびやかな格好で現れ、周囲の人々を驚かせることもあったといいます。・・・実は泥棒団のボスをしていたという証言もあるそうです。
ビルの妻イライザ
使用人の女性から性的暴行で訴えられる
ロックフェラーが10歳のとき、父ビルはアン・ヴァンダービーク(Ann Vanderbeak)という女性に性的暴行をしたとして訴えられます。ロックフェラー家の使用人をしていた女性でした。
裁判沙汰になり、土地にいづらくなったビルは、家を売り、同じニューヨーク内にある別の街に転居します。
ビルが転居した数日後、妻イライザの父がビルに対して1175ドルの借金返済を求める訴えを起こしました。ビルがレイプ事件の保釈金を払ってくれるようイライザの父に求め、その後、姿を見せなくなったというのです。
そして妻イライザもまた、当局から、ビルがニューヨークから姿をくらましてしまったと告げられます。
偽名を名乗り別の女性と重婚
ニューヨークの騒動の後、父ビルは、ロックフェラーの名を捨てて「リビングストン」という偽名を使いはじめます。
そして驚くべきことに、カナダでマーガレット・アレン(Margaret Allen)という女性と結婚するのです。
離婚していなかったため、ビルは重婚者になりました。法的な妻はずっとイライザのままでした。
二番目の妻との結婚後、ビルがイライザの元に戻ることはありませんでした。
それでも、その後、ロックフェラーは20歳頃に仲介業を始める際、父からお金を借りています。連絡は取り続けていたのかもしれません・・・
父は反面教師?超堅物になったロックフェラー
父の騒動の後、ロックフェラー家はニューヨークからオハイオ州に転居します。
ロックフェラーはオハイオ州の高校に通い、彼の輝かしいキャリアもオハイオから開花していきます。
父に代わり、一家の支えとなった長男ロックフェラー。放縦だった父を反面教師にしたのか、大変堅物な男性になります。
- まじめで素行がよく勉強熱心
- 貧しく若い時代から、ずっと教会への寄付を続けた
- 教師の女性を妻にし、愛妻家だった
- 生涯、酒もタバコもやらなかった
- 成功後も聖書を毎日読み、信者の会合に週に2回参加していた
- 優秀な白人の人口を増やそうという優生論を支持していた
(関連記事:「アメリカのナチズム!日本人仰天な米国の黒歴史」)
ロックフェラーの華々しい成功の詳細については、日本版wikiはじめ、取り上げている他サイトが多々ありますので、ここでは割愛します。
(→関連外部サイト 「日本語版wiki ジョン・ロックフェラー」)
英語版wikiによればロックフェラーはルカ伝6章38節にある「与えよ。そうすれば自分にも与えられるであろう」の言葉にのっとり、多くを借りては、多くを投資し、他社を吸収する形で勢力を増していきました。
しかし仕事のストレスは激しく、50代になると全身脱毛症になってしまい、以降かつらをつけていたそうです。
ロックフェラー兄弟は母イライザの信仰を受けつぎ、北部バプテスト派のプロテスタント教徒でした。
大富豪になった後も、バプテスト派、そして黒人の教会にも熱心に寄付を行いました。
しかし弟のウィリアムは晩年になると聖公会の教会に通うようになったそうです。
(関連記事:「聖公会 そして日本人と交わらないアメリカ上流階級の正体」)
堅物の息子ロックフェラーを面食らわせた父との再会
ロックフェラーが成功した後も、父ビルはそのまま偽名の暮らしを続けました。
父を恥じていたのか、ロックフェラーはビルを死んだことにします。母イライザが死んだときも、母は未亡人だったと世間に広めました。
しかし父ビルは92歳になって、いきなり前触れもなくロックフェラーの自宅にやってきます。そして孫たちと遊びだし、ロックフェラーを大いに動転させるのです。
それからビルは人前で自分と息子について喋りだし、父は死んでいるとふれまわったロックフェラーに大恥をかかせました。
・・・その後、ビルは二番目の妻と共に使っていた別荘で、96歳で亡くなります。そのため葬儀は二番目の妻の家が行いました。
ビルと二番目の妻の間に、子はありませんでした。
それでも、ロックフェラーは公で知られる限りでは、父の重婚を決して認めなかったそうです。
ロックフェラー一族の繁栄 3つの単純な理由
創始者ジョンと弟ウィリアムの死後も、ロックフェラー一族は繁栄し続けます。現在も5大財閥の筆頭です。
日本人の中には世界を動かすミステリアスな一族のように言う人さえいますね。
なぜ彼らは強い影響力を持てたのか・・・その理由は実はあっけないほど単純なようです。
- 長寿の家系である
- 子だくさんである
- 家族が協力しあう傾向
1,長寿の家系である
ロックフェラー家は長寿が多い家系です。
創始者ジョン・ロックフェラーと弟ウィリアム、そして長寿の目立つ子孫の寿命をあげると以下のようになります。
弟ウィリアム 81歳
(ジョンの息子)
ロックフェラー・ジュニア 86歳
(ジョンの孫)
ローランス・ロックフェラー 94歳
デビッド・ロックフェラー 101歳
(ウィリアムの孫)
ジェームズ・ロックフェラー 102歳
問題の多かった父ビルも96歳まで生きています。当時の医学を考えれば大変な長寿です。
長寿ならば、その分、目の行き届く期間も長いです。ブレることなく組織や財産を監督することができます。
2.子だくさんである
ロックフェラー家は、多くの子孫が4~6人の子を持っています。
大富豪の家なら、子供は多ければ多いほどよいでしょう。
息子ならば、それぞれ違う分野に進ませることで、一族は多くの分野で複数の事業を展開することができます。
お金が絡む仕事において、血縁ほど信頼できる関係はありません。
娘でも、ロックフェラーの娘にふさわしい富豪に嫁げば、他の名家と姻戚関係を結ぶことができます。
3.家族が協力しあう傾向
ロックフェラー家は家族や兄弟の仲がよく、連携しあう傾向です。
ロックフェラーと弟ウィリアムは若いうちから兄弟で協力してきました。また晩年は子どもたちを信頼し、多くを生前贈与しました。
ロックフェラー自身は娘が多く、息子は一人しかありませんでした。
しかし、その息子からは5人の男児が生まれます。
彼らは「ロックフェラー5兄弟」として、それぞれ金融や政治、文化の分野で協力しあい、広いネットワークを確立し、ロックフェラー家の地位を盤石にしました。
2017年に101歳での訃報が報じられたデビッド・ロックフェラーは、その5兄弟の末弟です。
アメリカの大富豪のわりに離婚が少ない点も、ロックフェラー家をまとまりやすくしているかもしれません
いまも現代人の身近にあるロックフェラー
ロックフェラー家の関係する事業が、ロックフェラーの名を表にだしていることは、あまりありません。
しかし、彼らの事業はわたしたちの知るもの、多岐にわたります。
チェーズ・マンハッタン銀行
ロックフェラー傘下の銀行の代表格です。ロックフェラー5兄弟の末弟デビッドが20年にわたりCEOにありました。
シティバンク
弟ウィリアムの孫ジェームズが10年以上に渡って取締役およびCEOの地位にありました。
シカゴ大学
創始者ジョン・ロックフェラーが作った大学です。
ニューヨーク近代美術館
一族の一人が設立者として名を連ねる、ロックフェラーによる美術館です。
アップル・コンピューター
まだジョブズが生きていた初期のアップルを支援したのはロックフェラー一族による投資会社でした。
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ロックフェラー家は超大国アメリカの中でも、最もおいしいところにいる一族でしょう。世界がうらやむ存在です。
そして、その血族すべてが、放埒なビルと、その敬虔な妻イライザの子孫なのだと考えると、なんだか不思議な気分になります・・・
https://en.wikipedia.org/wiki/John_D._Rockefeller
https://en.wikipedia.org/wiki/William_Rockefeller
https://en.wikipedia.org/wiki/Rockefeller_family
https://en.wikipedia.org/wiki/Godfrey_A._Rockefeller
https://www.geni.com/people/Elizabeth-Eliza-Rockefeller-Davison/6000000000270534375
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