最近20代~30代前半ぐらいの人によるブログを目にすることが何度かあったのですが、そのうちのいくつかで目にした内容が気になりました。
"親がくれたプレゼントが好みのものでないときでも、親の前では喜んでみせなくてはいけないのが苦痛だった"
これは分かります。確かに私も子供の頃、好きでないものを貰うのは困惑しました。
・・・でも、後々まで記憶に残るほど苦痛に感じるほどのことだったかしら?
思い返してみれば、昔の子供たちはプレゼントをもらえる機会自体が、あまりなかった。だから、とりあえず、どんな玩具でも、無いよりは嬉しかった。
もちろん当時は百円ショップもありませんでした。
テレビが与える「夢」とさみしい財布
よく昭和のおもちゃの代表としてマスコミに取り上げられる「リカちゃん人形」。今風のロングストレートの髪型ではなく、髪が外側に大きくカールしている昭和のリカちゃんのことです。
昔はこんな人形が売れたのだとテレビで知った若い人も多いのではないでしょうか。
けれど実際のところ、私が所属した第二次ベビーブーム生まれの子供たちで成り立つ、40人あまりのクラスのうちで、リカちゃん人形を持ってる子はほんの2,3人でした。
なので子供の間で人形の貸し借りトラブルがよくありました。
男の子向け玩具の花形だったラジコンの普及率も、そんな感じ。
東京近郊のベッドタウンでの話です。
でも、みんな、どんな玩具が売られているのかはよく知ってました。
だって、この時代になると、どの家庭にもテレビがあって、子供番組の合間にはおもちゃのコマーシャルが流れてたから。
テレビによって欲望はあおられるけれども、経済力がそれに追いつかない、そんな感じでしょうか?
小学校高学年になった1980年代の初頭にガンダムブームが起きました。多くの同級生の男児たちがこぞってガンプラを作りました。
当時のプラモデルの値段は一箱300円。
今の子供たちにとっては、コンビニで買うカードゲーム2パック分程度の値段です。
それでも、当時の一般家庭の子の小遣いだと、そう頻繁に買えるものではなかった・・・。
高度成長期後に子供時代を送った私の世代ですら、そんな感じでした。
そんなに豊かじゃなかった昭和
テレビが一般家庭に普及したのは1964年の東京オリンピックの頃と言われています。今の20代の方の両親は1950年から60年代に生まれた方が多いですが、彼らの若い頃は、より激しい現実と憧れのギャップがあったことでしょう。
「パパは何でも知っている」をリアルタイムで見て、アメリカ人の贅沢な生活に羨望を持った人も多いのでは?
今のマスコミは「先進国」という言葉をよく使い、飽食の時代などと言っているので誤解されがちですが
実際のところ、日本はほんの半世紀ほど前から急激に豊かになっていった国なのです。
先進国になってからの期間は、欧米の先進国よりずっと短い。
"もったいない精神"は日本人の国民性,なんて優雅なものじゃなく
ほんの40年ほど前まで、"もったいない"をしなきゃ、やっていけない切実な状態だったのです。
ブラウン管の向こうにある夢のような電化製品、豪華な家具、かっこいいクルマ
存在は知ってるのに、手に触れることはできない。
「テレビで見た憧れの商品が欲しいけど、とても手が届かない。
いつか自分が親になったときは、きっと子供に買ってあげる」
当時、そんな夢を抱いた子供や若者は少なくありません。
バブル後に子供時代を送った20代、30代の人たちには、欲しいものを思うように買えなかった両親の若い頃を、ほんの少しだけ考えてみてほしいかも?