私の知り合いに、80代半ばの男性の方がいます。
その方は幼い頃、どもりがあり、人前でなかなか話せなかったそうです。
小学校に入っても、全く喋りませんでした。
そこで、教師が親元に「お宅のお子さんは喋らないじゃないですか」
と、連絡を入れました。
それを聞きつけた父親は我が子を「喋れ!」と大声で怒鳴りつけました。
そして、わずか七歳の子を平手で張り倒したそうです。
それから、どうなったと思いますか?
その方は、なにくそ、と勇気がわきました。そして、人前で音読ができるようになりました。そこから成績もぐんぐん上がって、ついには日本を代表する三大商社の一つに入りました。定年まで勤めたあと、今はロータリークラブに所属する名士として悠々自適な生活をしています。
また飯星景子さんをご存知でしょうか?
最近はあまりマスコミの前に姿を現しませんので、若い方はわからないかもしれません。作家の飯干晃一さんの娘さんです。
現在、50歳過ぎの飯星さんですが、90年代はじめに統一教会に洗脳されてしまったことがありました。桜田淳子さん、山崎浩子さんの合同結婚式で統一教会への注目が集まっていた頃で、ワイドショーでも随分とりあげられました。
そのとき、彼女の父親の晃一さんが娘の信仰と決断に強く抵抗し、説得しました。記憶だと、ほとんど自宅に監禁まがいのことをして説得を試みたとマスコミは報じていました。
結果、飯星さんは統一教会への依存を捨てて父の考えに歩み寄り、桜田さんら二人とは違う道を歩みました。
・・・この二つは、今時なら「子供の心が傷つく」「子供の意思を尊重してない」などと非難されそうな父親の話です。
けれど、信念に満ちた話です。
信念のない親とお手本のない子
「周りの迷惑を考えて」「勉強しないと良い人生を歩めないよ」
などと、口で頻繁に子供に注意する親は多いですね。
けれども、自分が悪者になるかもしれない覚悟で子供に必死になる親は、近年あまり見なくなりました。
不登校の子どもを見て見ぬふりを親が続けてる結果としての、ひきこもりの増加もそれを裏付けています。このグラフでもわかるように、ひきこもりに戦後生まれ世代を親に持つ世代の割合が多いのは偶然でしょうか?
善悪を自分で決める”モンスター”の出現に何もできない現代人
―――戦後生まれ世代の親は自信がない。
何が正しいのかわからない。だから体当たりできない。
周りの同世代が家庭を持つから、またはテレビや映画で見る幸せな家庭に憧れてたから、そうしただけ・・・
そんな親を見て育った子供も、何が正しいかわからない。
とりあえず食べ物はあるし娯楽もあるから幸せである。でも漠然と不安でもある。
自信も確信もないから周りに好かれたい、ほめられたい。
そうすれば、自分は正しいのだと周りが証明してくれる。
多くの大人が正しさの基準を持ってない。正しさは周りが決めるものだと思ってる。
胸の奥にある理想は、子どもの頃からなじみのあるアニメや漫画のヒーローやヒロイン・・・
でも、もし、「正しさ」を自分が決めたらどうなるのか?
誰も決めちゃいけないなんて決めてない。
今の時代は自分の生きる道を自分で決められると周りは言う。
自分の正しさの基準を自分で決められるなら、何をしてもいいはずだ。
・・・こう、極論することもできるのです。
殺人を犯して出所してなお、事件をネタに出版して金儲けをした神戸連続児童殺傷事件のサカキバラ氏、
彼と同世代であり、周囲に多大な迷惑をかけたと知っておりながら、やはり同じような手口で平然と儲けをあげている小保方さんなどは
バブル以降の日本の大人たちのそうした隙を見抜いている世代といえるでしょう。
彼らにぐずぐず文句を言ったところで、法律上は間違ってないよ?と言われると、誰も咎めることはできない。
何が正しいのか?どんな人生が日本人としての手本なのか?
本来、日本人は真面目。教えてもらえれば、きちんとやれるのです。
戦前生まれの人たちがまだまだ現役だった昭和の日本は今より貧しかったですが、勤勉で貞潔な人は今より当たり前に多かった。
売春する女性はもちろんいましたが、ほとんどの理由は生活苦でした。
バブル期に現れたブランド品が欲しいゆえの援助交際は、当時まさに革命でした。
現在、風俗業で簡単にお金を稼ぐ女性がとりあげられると「もっと自分を大事にしなきゃ」と皆がいいます。
でも、
「大事にしなかったら、どうしてダメなの?絶対に不幸になるの?」
と尋ね返されたら、多くの人は答えられないでしょう。せいぜい、金銭感覚が狂うかもしれないよ?などと、はぐらかす程度しかできない。
日本人はなぜ、かくも「生まれてきたから生きてるだけの民」になってしまったのでしょう?
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