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現代人に刺さる!ロックフェラーの知られざる不運な弟の話

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ロックフェラー財閥の創始者は、ジョン・ロックフェラーと弟のウィリアムです。
一般的にロックフェラー兄弟というと、この二人を指しています。

しかし、実はジョン・ロックフェラーには、もうひとり、弟がいました。

名前をフランクといい、ジョンより6歳下の末っ子です。

 


ロックフェラー兄弟の末弟 フランク

ロックフェラーは6人きょうだいでしたが、ウィリアムの下に生まれた妹二人は夭折しています。成人したのは長女と、長男ジョンと次男ウィリアム、そしてこのフランクだけです。

 

末っ子フランクの父代わりだった長兄ロックフェラー

フランクが10歳を過ぎた頃、父ビルは二番目の妻と一緒になり、まったく家に戻らなくなりました。
(くわしくは→関連記事「ユダヤじゃない!父は犯罪者?知られざるロックフェラー家の実像」)

そして長兄であるジョン・ロックフェラーが働きはじめ、フランクは兄を家長として思春期を過ごすことになります。

 

長兄ジョン・ロックフェラー

 

用心深く計算高かった長兄ロックフェラーと違い、末っ子フランクは賑やかで熱情的な体育会系の性格でした。

南北戦争が始まると、フランクは未成年にもかかわらず軍隊入りを志望します。戦場に出て、負傷までします。
一方、兄二人はビジネスに熱中し、ともに戦場には出ませんでした。

戦後、フランクは独自にさまざまな仕事をします。しかし結局、兄二人の経営する石油会社スタンダード・オイルに入ることになります。

 

つけあがる弟 甘やかす兄

「執念深く、暴力的なところがあり、妄想や現実を深く考え込んでは混乱していた」
フランクを知る人は、彼の性格をこう評したそうです。

着々と成功を続けた長兄ロックフェラーと違って、フランクはつまづいてばかりでした。

ビジネスの才がなく、いろいろなところに投資をしては、失敗しました。

また巨大な屋敷や牧場を買い、身分不相応の暮らしをしたがりました。

そして、そのたびに、兄たちに負債を負わせました。自分の不運を嘆く手紙を兄に書いたりもしました。

そんな弟を兄たちは甘やかします。フランクのために、スタンダード・オイルの副社長の席まで用意します。

フランクは兄たちの気前の良さに甘えた生活をしていました。

 

しかしフランクは素直で従順な弟ではありませんでした。

彼は常に世間が成功者として仰ぎ見る、長兄ロックフェラーを意識していました。
そして、偉大な兄のおまけ扱いされることを嫌がりました。

 

やがてフランクは弟でありながら、スタンダード・オイルのライバルの石油会社への投資に関わったことで、悶着を起こします。

またフランクのビジネスパートナーも長兄ロックフェラーとそりが合わず、口論する関係になります。

そして兄に甘えながら反抗を続けていたフランクは、ついにスタンダード・オイルを去ることを決意します。年齢50代半ばのことでした、

彼は、別の夢を叶えようとするのです。

 

華やかでふわふわした「中二病」な牧場経営

フランクは牧場経営者になろうと思い立ちます。

以前も牧場は持っていたのですが、それとは別に、テキサスに大規模な土地を購入します。

「あのロックフェラーの弟が牧場を始める」というので、多くの人が注目しました。
しかしフランクはジョン・ロックフェラーの弟と呼ばれることに憤慨し、金持ちの道楽扱いされることをいやがりました。

 

彼はゆくゆくはブリーダーになるつもりでした。そこで大金を払ってコロンブス17世というイギリス育ちの種牛を手に入れます。

ロックフェラー家による大きな投資は周りにインパクトを与えました。
フランクは広大な牧草地をつくり、これまた注目を集めます。

 

フランクは自分を牧場経営者だと名乗ることが好きでした。角のない品種の牛を産出することが夢でした。

しかし彼は故郷のオハイオ州にばかりいて、あまり実務に熱心ではありませんでした。代わりに大勢の従業員を雇います。
種牛の品評会に出席するのも、牧場の実質的な管理をするのも、フランク本人ではありませんでした。

一方、フランクは牧場にプールやテニスコートといったレジャー施設も併設していました。そして、自分の客たちを牧場に招いては、もてなしていました。

結局、フランクの牧場経営は、金持ちの道楽でした。

 

フランクが70歳を迎えるころ、牧場の近くの鉄道の方針により、新しい入植者が増え、広々とした土地を誇っていたフランクの牧場は立ち行かなくなります。
晩年のフランクは目減りする資産を売る相手を必死に捜す羽目になりました。

 

大人になれなかった弟 死ぬまで続いた反抗期

フランクの人生は、社会的、経済的に兄たちにおぶさりながら、兄たちに反抗し続けるというものでした。

フランクは弟でありながら、議会で兄たちの会社に不利な証言をしたり、マスコミの前で兄たちを罵ったりしてきました。「昔のうちに、自分が兄を銃で撃っておくべきだった」とさえ述べていたそうです。

 

フランクは、なにかにつけて長兄ロックフェラーを引き合いに出し、挑発しました。

牧場主だった頃、フランクは「家族の次に動物が好き」と自身の充実ぶりを語り、一方で、長兄ロックフェラーを「規則に縛られた地獄に住んでいる」「地球上で最も寂しい男」だと貶めます。

ロックフェラーが一族の墓地に記念碑をたてようとした際も、フランクは「ジョン・ロックフェラーのようなモンスターが管理する土地でやすらぎはしない」と、自分の家族の墓地だけ、別の場所に移そうとしました。

・・・フランクの反抗には、世間から大物扱いされるロックフェラーに、あからさまに逆らうことで、兄、そして周りの気を引こうとしていたようなものが感じられます。

 

晩年になると、フランクのほうから兄たちに直接コミュニケーションをとることは、一切なくなりました。

牧場が失敗した後、1916年に次兄のウィリアムがフランクとの和解を試みます。しかしフランクは、そんな可能性はないと突っぱねたと周りに話します。

 

結局、フランクは何も変わらないまま、その翌年に、兄たちより先に亡くなります。

二人の兄は葬儀に出席しました。その様子は疲れて憔悴して見えたと報じられました。

フランクの子供は娘だけだったので、その後のフランクの子孫がロックフェラー一族となることはありませんでした。

 

*********

 

フランクは1845年生まれ。黒船来航の前に生まれた人物です。

でも、今の日本において、彼の人生がとても現代的に感じられるのは、私だけでしょうか・・・

 

https://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Rockefeller
https://triviahappy.com/articles/john-d-rockefeller-built-an-empire-his-brother-raised-a-bull

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