世界の中の日本 東南アジアと日本

大卒が社会に増えるほど貧しい国になる 日本の怪

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OECDによると、日本の25歳-64歳の人口における大卒の割合は51.4%だそうです。

2000年時点では33.6%だったのが、世代交代が進むにつれて増え続け、ついには労働人口の半数を超すまでなりました。

世界で日本よりも大卒人口の割合の多い国は、カナダとロシアだけだとあります。

 

高等教育を受けた社会人の割合が増え続けた日本。しかし、それに見合った結果が出ているとは言い難いことは、多くの方が認めるところだと思います。

IMFによる一人当たりGDPの世界順位は、

2000年:2位 → 2010年:18位 → 2017年:25位

と、社会に大卒の割合が増えるのに反比例して下がっています。

 

一般的に、国民の教育レベルと、国の繁栄は比例すると考えられています。
特に欧米先進国では、国の発展に教育は欠かせないといった見解が根強いです。

たとえばニューヨーク・タイムズの記事「What happened to argentina」では、百年前は先進国だったアルゼンチンが衰退した理由を、アメリカと違って教育や識字率の向上に力を入れなかったためとしています。

 

識字率の点でも、日本は高い水準にありますね。江戸時代から高かったことが、よく話題になります。現在でもアメリカなどの先進国と同じ99%です。

・・・教育は過去よりも行き届いているはずなのに、なぜ日本の国民生活は過去よりも貧しくなっているのでしょう?

 

このような奇妙な現象にあるのは日本だけではありません。
当サイトが日本の先輩国と考えるフィリピンも、似た歩みをしています。

まず識字率。
アメリカは教育を重視する国です。その植民地となったフィリピンは東南アジアのうちでは早くから教育制度に恵まれているほうでした。

ユネスコのサイトによると、フィリピンの1970年時点での15歳以上の識字率は81.8%とあります。これは東南アジアではベトナムに次ぐ高い水準です。

同じ1970年時点で、マレーシア、インドネシア、中国の識字率はそれぞれ、58.1、56.1、52.9%でした。

フィリピン マレーシア インドネシア 中国
1970年の識字率(%) 81.8 58.1 56.1 52.9
1970年の一人あたりGDP 186 357 79 113
2017年の一人あたりGDP 2,988 9,944 3,846 8,826

(ユネスコ、世界銀行より。単位ドル。小数点以下切り捨て)

ユネスコのサイトには、「識字率が高い国の方が、一人当たりの収入が高いという傾向がみられる」とあります

しかし、この教育を受けた人口の多さに反して、フィリピンはその後、中国にもインドネシアにも一人あたりGDPを抜かれてしまいました。マレーシアとの差も、現在は三倍に広がっています。

もちろん経済発展を遂げたこれらの国々もフィリピンも、1970年から識字率は上がり続け、現在は大差なくなっています。

しかしフィリピンは識字率がもともと高かったというアドバンテージを生かせなかったことになりますね。

 

また大学進学率においても、似たようなことが見られます。

JICAの資料には、調査結果のないシンガポールを除いたASEANの高等教育(大学)進学率があります。

これによると2001年時点でのフィリピンの進学率は30.4%です。
これはタイの39.2%に次ぐ、高い数値です。

当時、それだけ多くのフィリピンの若者が、他のASEAN諸国より高い教育を受けたということです。

そして彼らが社会に出ておよそ15年。それに見合った繁栄をフィリピンにもたらせているのかどうかは、数字の上では微妙です。

ASEANの2001年時点の高等教育進学率と、IMFによる2017年のASEAN内の一人当たりGDP順位

2001年時点の進学率(%) 2017年の順位
タイ 39.2 4
フィリピン 30.4 6
マレーシア 25.0 3
インドネシア 14.4 5
ブルネイ 14.2 2
ミャンマー 10.3 10
ベトナム 9.4 8
ラオス 3.1 7
カンボジア 2.4 9

(調査結果のない1位シンガポール除く)

 

「国民の教育レベルの高い国、識字率の高い国は、そうでない国より繁栄する」

・・・こうした世界の常識に対する、生きた反証が日本とフィリピンです。

なぜ、こうした奇妙なことが起きてしまうのでしょう?

 

戦後の日本の学生が大学で学ぶこと

年次統計によると、戦後まもない1950年代、日本の大学進学率は10%ほどでした。
その数値は次第に上がり、2005年以降は、50%を超えます。

非常に増加した日本の大卒人口。
では、大学では、どのようなことを学ぶのでしょう?

こちらのサイトによると日本の大学において、理系学部と文系学部の割合は3:7だそうです。私立大学に限ると2:8まで差が広がります。

日本の大卒者の多くは文系なんですね。

この割合は国ごとに違いがあり、たとえば中国などだと、理系学部のほうが多いそうです。

国文科や日本/東洋史学科を除くと、日本の文系が大学で使用するテキストは基本的に、欧米の学者の学説の翻訳、もしくは、その翻訳を研究した日本人学者の著作です。

 

明治~戦前の偉人たちを生んだ漢学 これが本来の日本の道徳」でとりあげましたように、
戦前の日本の高等教育では、江戸時代まで続いてきた日本の伝統的な学問を、主要教科のひとつにしてまで、学生たちに継承させていました。

しかし現在の日本の学校教育には、もともと日本にあった学問を、きちんと体系的に学び、継承する機会は皆無です。
江戸や明治期の学者より、ケインズやカント、アインシュタインの知名度のほうが圧倒的に高い現状です。

 

アメリカ人やヨーロッパ人の学説は、自国のことのようによく知っているけれど、母国日本にもともとあった学問のことは殆ど知らない・・・

こうした大卒が社会の半分近くを占める状態で直面してるのが、失われた30年になりかけている、現在の日本です。

 

日本の若者に忍び寄る「フィリピン人化」」でとりあげたフィリピンの状態と似てますね。

 

フィリピンも大変な学歴社会であり、学歴によって就ける職業が決まっているといいます。
また戦後日本と同じように、アメリカによって 庶民に教育がもたらされました。
英語が得意なことを活かしたアメリカの大学への留学も人気です。

つまり国の舵取りをしているエリート層は、欧米の学者の理論を原文で読めるような、高学歴なのです。

しかし、過去記事「白人の真似ばかりの国 フィリピンは日本の未来か?」に述べたように、彼らの国運営が成功してきたとは言い難いです。Newsweek日本版には「落ちこぼれ」とまで評されています・

 

日本とフィリピン・・・
学歴の高い人達によって運営される、識字率も高い国が、そうでない国に抜かれてしまう理由は何でしょう?

二国と他の国々との違い・・・それは、物事の良し悪しの判断を欧米人にゆだねている点かもしれません。西側先進国と同じにさえすれば、基本的に間違いはないと思い、自分たちで考えないのです。

この点は前記事「日本とフィリピンを腐らす共通の国民性を表す ある言葉」でとりあげた「出る釘は打たれる」精神/クラブ・メンタリティが強くなった原因である可能性もあります。

 

日本のエリートが欧米企業を買収したがる理由

戦後世代が経営権を握ることが増えて以降、海外企業の買収が増えましたね。理由として将来的な国内市場の縮小がよくあげられます。特に大企業の場合、対象の多くは欧米企業です。
(参考外部サイト:「1つの企業を6兆円で買収!? クロスボーダーM&Aを行った企業10社」)

日本の大企業が欧米の企業を買収する。・・・一見、景気の良い印象を受けます。

しかし、実際の日本側の役員たちの本音は

「自分たちでは、今後どうしたらいいか、わからない。
だから、欧米人に、なんとかしてもらおう。
運よく成功したら、手柄を自分たちのものにしよう」

という感じなのではないかな?と、私は思います。

海外進出に対して、何かはっきりしたビジョンを持っているなら、外国人が経営に口をはさみにくい現地法人を立ち上げるでしょう。
アップルもグーグルもamazonも、日本で立ち上げたのは現地法人ですね。

 

戦前の高学歴と違って、欧米のやり方をお手本にすることしか教わってない戦後の高学歴は、自力で答えを出せない・・・。どうしたらいいのか、わからないのでしょう。だから欧米に頼りたい。

話題になっている日産のゴーン氏、過去のソニーのストリンガー氏の件のように、欧米のビジネスマンに経営責任を渡すのも、根本は同じでしょう。

しかも驚くべきことに、仲介業者にすすめられてるままM&Aしたあとは「現地にまかせる」名目のもと、既存の経営陣に丸投げして何もしない日本企業も多いそうです。

責任が生じることは外国人にやってもらって、利益だけ欲しいというわけですね。

結果、買収後、うまくいかなくなるケースが多く、最終的な成功率は2~3割程度だといわれています。

 

アベノミクスの期間、大企業の内部留保は大きく膨らんだと報じられました。しかし、そういった企業の財産の一部は、こうした成功率が低く無責任な買収に投じられ消えてたのかもしれません・・・

 

いまどきの高学歴は「イノベーション」「インテグレーション」としきりに唱えます。しかし、自分たちの中に、それを実行できる材料はないのでしょう。
言葉さえ、借り物です。

 

アベノミクスの開始時、クルーグマン氏の学説が盛んに取り沙汰されましたね。
ノーベル賞を受賞した経済学者、クルーグマン氏の理論に沿ってるのだから、成功するはずだと。
(参考:アベノミクスの元ネタ発見!?【連載】第5回『クルーグマン教授の経済入門』がざっとわかる  ダ・ヴィンチニュース

確かにクルーグマン氏は優れた経済学者でしょう。
でもクルーグマン氏は、日本に住んだこともないし、日本語もわからない。日本文化に無知な人です。彼の理論も日本を専門的に深く研究して立てられたわけではありません。

 

なぜ、そんなクルーグマン氏の理論に基づいた政策を、日本で行わなくてはならないのでしょう?

日本を研究し、日本に適したビジョンを提案できる日本の学者はいないのでしょうか?
日本が現在の教育制度になって、もう半世紀以上になりますが・・・。

 

こんなふうに外国人の受け売りしかできないのが日本の文系の学者なら、近年の文系学部削減の議論が生じるのも仕方ないのではないかな・・・と、文系出身者の一人として、思います。

 

沈むのは教育よりもビジョンをもてない国

自国らしさが希薄で、よりヨーロッパやアメリカに近づくことを夢見て、結果的に浮き上がれなくなってる国は、世界にたくさんあります。その多くは、欧米の元植民地です。

 

しかし、これらの国々がうまくいかないのは、欧米人のせいとはいえないでしょう。

欧米人は良かれと思って、そうした国々に教育や文化を与えてきました。教えた内容は自国民と同じ価値観です。親身に接してきたといっていいでしょう。

だからフィリピン人も日本人も、多くはアメリカが好きです。ラテンアメリカ人の多くもヨーロッパもしくは北米に憧れをもっています。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」という呼称までもっていますね。

 

でも、これら「自力でビジョンを描けず、欧米先進国が発案したモデルを選択する」ばかりの地域が、なぜかうまくいかなくなる・・・これも事実です。

その中には、アルゼンチンのような、国民の大多数が白人の血を引き、資源にも恵まれた国もあります。

 

成功モデルをコピーしただけでは成功しない・・・文明の謎ですね。

ただ、日本とフィリピンの歩みをみていると、「強い国の尻馬に乗って得しよう」という依存的で怠惰な姿勢が当たり前になってしまったことが、貧しさの原因になっている気もします。

 

経済大国を作った戦前世代、失われた20年の戦後世代」で取り上げましたように、戦後日本が先進国にまで上り詰めた時代、社会をリードしたのは戦前教育世代の人々でした。現在だと80歳を超える方々です。

若い頃に鬼畜米英な社会の下で日本の伝統的な学問を学んだ高齢者と、欧米の学説ばかり学んできた現役世代の持つ知識、教養の間には、大変な隔たりがあるのです。
同じ「大卒」でも、中身が全く違うのです・・・。 

 

「選択」ではなく「発案」できる民へ

私はこのサイトを通して、「日本が現状のまま欧米についていくのはよくない。成功したシンガポールのように中華圏寄りになるべきだ」などと「選択」を提唱してるのではないです。
(関連記事:「不景気しか知らない世代こそ見てほしい 日本に勝った先進国シンガポール」)

依存先を変えるという手段は、決して根本的な解決にはなりません。

 

・・・日本人は世界でも最も知能指数が高い民のひとつです。
(関連記事:「世界のIQランキング。日本人が知らない民族の序列 」)

かつて自力で先進国になれた日本は、本来ならビジョンを描く力がある。そして「発案」もできるはずです。

それにはまず第一に、日本人が「母国日本の文化とは何か?」「東洋文化とは何か?」を、もっと知る必要があると思います。

 

過去記事「なぜアメリカ人やイギリス人はイノベーション力が豊かなのか」において、
イノベーションを起こせる民の国というのは、往々にして複数の文化や価値観を社会の中に並立させていると述べました。
なおかつ、それらをハイブリッドしたりせず、極力純粋な形で併存させていることが大事です。
(関連記事:「豊かな北アメリカと貧しい南アメリカ。何が明暗を分けた?」)

 

現在の日本では、学校の教育を受けるだけだと、西側諸国寄りの一つの価値観しか学びません。

しかし、本来の日本の価値観は、それだけではないですね。
(明治天皇は儒教派だった→「教育勅語を生んだ幼学綱要をめぐる衝突」)

敗戦前の公立高校では、ヨーロッパ言語や中国語のみならず、マレー語さえ教えていました。昔の人のほうが、世界にはたくさんの文化や価値観があることをわかっていました。戦後昭和が成功したのは、その時代の人々の視野の広さのおかげもあったでしょう
義務教育は12歳まで?小学校の次にまた小学校?戦前戦中の日本の教育

 

今の日本に閉塞感があるのは、本当に閉塞しているからではなく、多くの人が、戦後の学校で学ぶ一つの価値観からでしか、物事を見れなくなっているからでしょう。

「先進国」vs「その他」、「白人」vs「その他」、「富裕層」vs「その他」といった具合に、近年の日本は一強他弱論、上下論に走りやすいと思いませんか?

実際の世界の複雑さを考えると、あまりに短絡的で凝り固まっていると感じます。

 

「欧米先進国の文化は積極的に取り入れるべきものである」
「東洋含む他の文化は劣っており、大して必要でもない」

今現在、社会にあふれている、こうした価値観だけで、現状を変える「発案」を行うのは難しいでしょう。たとえ、どんなに高学歴な人であっても・・・

しかし、社会に流され受け身で学ぶ姿勢から脱すれば、実際は道はどんな人にも開けているのです。この日本という国自体、今の日本人の知らない知恵にあふれています。
(今の日本人が読めない日本の書物とは?→「日本から文化を奪う国々 日本人に本気で中国語を学んでほしい理由」)

 

もし日本人が自力で自国に適した方針を考え、提案をし、国力を復活させることができれば、似たような劣等感に満ちた国々にとっても、繁栄のヒントになるかもしれません。

そして、それは、現在の国際序列というオセロ盤の図をひっくり返す可能性だってあるのです。

 

 

https://www.sankei.com/premium/news/180107/prm1801070014-n5.html
http://ir.c.chuo-u.ac.jp/repository/search/binary/p/10991/s/9930/


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