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石田東四郎という日本兵をご存知でしょうか?以下のような、過酷な人生を歩んだ人物です。
日本兵 石田東四郎の一生
中国で記憶を失った日本兵
石田東四郎は1912年に、秋田県で生まれた。
25歳の頃、日本兵として中国河南省に渡り、終戦直前に行方不明になった。その後、戦死者として扱われた。
しかし実際は、耳に損傷を受け、頭部に弾丸が残った状態となり、記憶を失っていた。
終戦の翌年である1946年、石田は聾唖者として、物乞いをしていた。農民の孫邦俊がそれを見かけ、哀れに思い、自宅で面倒を見ることにした。
孫邦俊は当時50代で、子供もいた。妻は物乞いを養うことを反対したが、孫は押し切った。
その後、47年間、石田は、孫一家と共に暮らすことになる。
石田と孫邦俊の孫
問題行動が多く、手伝いもできず、一家の負担に
石田は、たびたび問題行動を起こした。
「彼はよく深夜に大声で叫ぶか、なんの歌詞かわからない歌をうたっていたんです」。
あるときは、自分の顔を殴ってあちこちに青あざをつくっていた。またあるときは、彼にあげたばかりの靴を、包丁で細かく切りきざんでしまった。寝床のかけぶとんも引き裂いて、中入れの綿だけが残っていた……。
その後、彼の左耳の後ろ側に、小指大の弾痕があるのが発見された。おそらく弾丸は大脳まで達しており、そのため彼の自活する能力が失われたのだろうと考えられた。
「人民中国」
このような状態のため、石田は農作業の手伝いも、ほとんどできなかった。
孫一家の周囲の人々は、石田を追い出すよう勧めた。
しかし、見捨てることはできないと、孫一家は石田とそのまま共に暮らし続けた。石田が熱を出したときは、治療代のために近所の人に借金を頼むほどだった。
孫一家が石田を大切にしているのを見て、周囲の人々も石田を認めはじめた。
日本人ということで「日さん」と呼ばれるようになり、孫一家の一員として土地も分け与えられた。
それでも、文化大革命の時代になると、自宅に日本人を住まわせている孫一家は批判された。
石田の存在が、家族の進学や結婚において不利に働くこともあった。
DNA鑑定から身元が判明
残留日本兵の帰国が開始すると、孫邦俊は石田の家族を探すために尽力した。
しかし、本人が記憶喪失なため進展しなかった。
孫邦俊は失意のうち病死し、石田の世話は息子の孫保傑に託される。
日中国交正常化のあと、孫保傑は中国に住む日本人 根本利子の存在を知る。
石田を伴って協力を求めると、彼女は日本に手紙を書いた。そして、この件が日本の新聞記事に載ることになった。
石田と一緒に従軍していた人物に、「経済ニュース速報」の副編集長 津田康道がいた。
記事になった日本兵がかつての自分の部下だと気づいた津田は、確かめるため中国までやってきた。
石田は記憶を失っていたが、津田は確信を強め、石田の弟に連絡を取った。そして石田と思われる人物の血液サンプルを日本に送った。
DNA鑑定の結果、孫家の記憶喪失の日本兵は、間違いなく石田東四郎だと証明された。
80歳にて日本に帰国
93年6月、石田は80歳で日本に帰国した。
大阪空港に着くと、記者陣に囲まれた。聾唖で記憶がないため、3週間ほど孫家の人間も付き添った。
日本国内で、石田を保護してきた孫一家に感謝を表したいと「石田東四郎救援委員会」が発足し、寄付をつのった。石田の故郷の増田町は代表団を河南省に派遣した。そして、集まった600万円の募金をもとに「中日友好太増植物園」が河南省南召県に建設された。
帰国後、石田は妹家族とともに暮らした。しかし、その後も、記憶が戻ることはなかった。
2009年、石田は肺炎のため亡くなった。96歳だった。(以上、敬称略)
日本兵 石田東四郎の一生は現代人には異様な物語
いかがだったでしょう?
高齢の日本人なら、孫さん一家の人情に、素直に感動できる方も多いかもしれません。
しかし、現役世代の日本人は、どうでしょう?
なかなか素直に受け止められないのではないでしょうか?
たとえば、私自身がそうです。
「なぜ、生活に余裕があるわけでもないのに、赤の他人の物乞いを引き取ろうなんて思ったのだろう?理解できない」
「何か裏があるんじゃないか?お金目当てに大げさな話をしてるんじゃないか?」
合理的に考えるほど、孫さん一家の行動を勘ぐってしまいます。
昭和の日本人の感覚 ある高度成長期のドラマの思い出
孫さん一家全員が、100%純粋な気持ちで、石田さんの世話をしていたのかは、わかりません。
しかし、この話は、私に40年ほど前に見た、あるドラマを思い出させます。「昔の日本も、孫さん一家のような感覚あったよな」と思い起こさせる内容です。
たった2時間の単発ドラマでしたが、今思い出しても、日本の時代の境目を感じるドラマです。そして、おそらく、1980年以降の生まれの方は「同じ日本の話なのか?」と仰天するだろう結末です。
放送された時期をはっきり思い出せないのですが、おそらく1980年代前半です。タイトルも思い出せません。まだ録画機が一般家庭に普及しきってない時代です。
うろ覚えですが、あらすじは以下になります。
主人公は、ある建売住宅風の家に住む、平凡な主婦である。
ある日、庭に、見知らぬ小柄な老女が迷い込んでくる。丁寧に追い返そうとするが、何度追い払っても、同じようにやってくる。
どうも痴呆がすすみ、主人公を娘と間違えているようである。
喋れないのかわからないが、(記憶曖昧です)あまり声を発しない。
雨が降り、ずぶ濡れになっても老女は去らない。
見かねた主人公は、老女を家に招き入れ、お茶を出す。
老女は、そのお茶碗の中に入れ歯をまるごと落としてしまう。彼女は総入れ歯だった。
あまりの不潔さ、気持ち悪さに顔をしかめる主人公。
それきり老女は、もう家から出ていこうとしない。主人公は恐怖にかられる。
しかし、次第に老女が哀れになってきた主人公は、一転して彼女を家族の一員として受け入れる決意をする。
老女は喜び、最後は家族皆が笑顔で温かく老女と接する場面で終わり、ハッピーエンドとなる。
私がこのドラマを見たのは、10代前半だった記憶です。当時は以下のように感じました。
「こんなお婆さん怖い。私だったら絶対に家族になんかしたくない。現実的でなさすぎる」
「でも大人は、善い結末だというだろうな」
そして、異様なドラマとして記憶に残りました。
高度成長期に子供時代を過ごした人は、何を学んだのか?
放送された時代からして、脚本を書いた方は、若く見積もっても現在、80歳を越えているでしょう。この人物なら、孫一家の行動をみて、称賛する価値観をもっていたでしょう。
「気味がわるい、共感できない」と感じた私は、第二次ベビーブーム世代です。
しかし、上に述べたように「老女を家族として引き取る」を善い結末だとみなすことに、異常さを感じなかった年代でもあります。
第二次ベビーブーム世代は、子供の頃から、当時の大人たちによって、似たようなものを繰り返し、見せられてきたからです。
ワンパターンな物語が訴えたもの
高度成長期の頃の子供向けコンテンツに、頻繁に登場するものがありました。
それは「捨て子」です。
赤ん坊や子供が親に置き去りにされている。主人公たちは「かわいそう」だと引き取る。しかし、大体はわがままで生意気で手のかかる子である。主人公たちは腹をたてたり困ったりしながら、慣れない手付きで面倒を見てやる。
孤児育ちのキャラクターのもとに、ニセモノの親が現れるパターンもよくありました。子の方は真実に気づいているけれども、気づかないフリをして世話をしてやるのです。
そして最後はいつも、実親が良心の呵責に耐えられず子供を迎えに来たり、偽親の謝罪のシーンになります。主人公側は、少しさみしい思いを抱えながらもハッピーエンドです。
当時「ワンパターン」という批判がよく聞かれました。それぐらい、あちこちで同じようなストーリーが見られました。
「他人であっても弱い人を見捨ててはいけない。自分が損をしても面倒を見てやらなくてはいけない。
それが結局、自分自身の心を温かくし、幸せにしてくれる道なのだ。」
当時のコンテンツは、このテーマを「これでもか」と訴えていたわけです。見ている私は子供心に「またかよ」と思っていました。
しかし、今思えば、高度成長期の大人たちは、批判も、芸術性も、キャラクターグッズの売上も無視して、こうしたワンパターンなストーリーを若い世代向けに流し続けていたのでした。
今の日本は、住んでいる人に、ふさわしい国になっただけ
やがて、こうしたコンテンツをうるさく流していた大人たちは老人になり、多くが故人になっていきました。
「彼らが育てたはず」の子供たちだった、わたしたち現在50代60代になっている日本人は今、どこにいるのでしょう?
わたしたちが子供だったとき、あって当たり前だった教えは、どこに行ってしまったのでしょう?
豊かな高度成長期~バブル期の日本を築いたのは、「損得より人情を取れ」と教えた、彼ら昭和世代でした。孫一家の行動をあまりおかしいと思わない世代です。孫一家の行動は今も中国で立派な行動として賛美されてますから、この世代の人たちの価値観は、現代の中国文化にも近いのでしょう。中国は21世紀以降、日本に取って代わるように成功しています。
一方、ご存知のとおり、昭和に活躍した人々が育てた、わたしたち日本の50代60代は、教わった精神的な価値観を、あまり引き継ぎたがりませんでした。若い世代にも伝えていません。
昭和の人々が築いた経済的な遺産だけは、しっかり引き継ぎ、使い果たし、貧しくなった日本を若い世代に押し付けています。
各地で行われていた盆踊り大会がなくなり、代わりにロックフェスティバルが増えてきた点など見ると、イメージしやすいですね。かつての盆踊り大会同様、自治体が主催する商業色のないフェスまで見られます。
昭和的な漢字の社名を、カタカナやアルファベット、ひらがなの社名に変更する企業も多く見てきました。選挙の候補者の名前まで、ひらがな表記が増えてきましたね。
「明るく親しみやすく開放感のあるイメージがほしい。一方で、泥臭い歴史は語りたくないし、責任の所在は曖昧にしたい。」
そんな精神が透けて見えると感じるアラフィフ世代は、私だけではないでしょう。そして、若い世代は、こういう日本しか知りません。
日本が衰退し続ける理由を、グローバリズムや権力者のせいだとする人は多いですね。
しかし、私個人は「住んでいる人に、ふさわしい国になっていっただけ」だと思います。
日本に住む人々が、世代交代の結果、成功した時代を築いた日本人と違う価値観の人々に入れ替わった。だから、日本も、新しい住人にふさわしい国に変わったのです。
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https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/07/25/213549
https://mbd.baidu.com/newspage/data/videolanding?nid=sv_6518045272217061372&sourceFrom=pc_feedlist
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E6%9D%B1%E5%9B%9B%E9%83%8E
https://new.qq.com/rain/a/20211013a05x3f00(写真引用)
https://www.youtube.com/watch?v=io0DpMQFmi0(写真引用)
※石田東四郎氏について、更に詳しくは
外部リンク 「半世紀にわたり日本の負傷兵を世話したある農民の話」 人民中国