英語版wikiには「History of Sino-Japanese relations」(「中国と日本の関係の歴史」)というページがあります。
日本では一般的にあまり知られていない事柄が多くみられ、驚くばかりです。
「日本皇室は中国の呉の王族の末裔なのか」の記事に書きました、呉の件も載っています。
Chinese travelers reported that inhabitants of Japan claimed ancestry from Wu Taibo, a king of the Wu state (located in modern Jiangsu and Zhejiang) during the Warring States era. They recorded examples of Wu traditions including ritual teeth-pulling, tattooing and carrying babies on backs
(3世紀の)中国人の旅行者たちによると、日本の住人たちが呉の大公の子孫だと名乗っていたという。呉とは戦国時代に現代の江蘇省と浙江省に位置していた国である。彼らは歯を抜く儀式、入れ墨、子供を背負う風習などといった呉の伝統の例を記録している。
日本人の知らない日本の歴史が英語のwikiに書いてあるって、なんだか奇妙な感じですね(^_^;)
秀吉による朝鮮出兵の件も載っています。その一部がこれです。
Ming granted Hideyoshi the title as "King of Japan" as withdrawal conditions, but Hideyoshi felt it insulted the Emperor of Japan and demanded concessions including the daughter of the Wanli emperor. Further relations soured and war reignited.
(文禄の役の後)明朝は秀吉に終戦の条件として「日本王」の称号を許した。しかし秀吉はこれを天皇への侮辱と受け止め、 明朝皇帝の娘を含むより大きな譲歩を求めた。関係は悪化し、戦いが再開された。(そして慶長の役へ)
この明朝皇帝とは14代皇帝、朱翊鈞(しゅよくきん)。日本では万暦帝という名称が一般的なようです。ちなみに日本のwikiによると血液型はAB型だとかw
この件、中国の百度を検索すると、以下のようなページがヒットします。
「据说丰臣秀吉曾经提出让明帝国公主嫁给天皇做皇后?」
(「豊臣秀吉は明の皇帝の娘を日本の皇后にすることを提案したといわれてますが?」)
「如果要是明朝同意丰臣秀吉要求:天皇迎娶明朝公主,会怎么样?」
(「もしも明朝が豊臣秀吉の要求に同意して、天皇に明の皇女を娶らせていたら、どのようになっていたでしょう?」)
・・・日本ではあまり知られていないエピソードですが、中国ではそうでもないようですね。
このとき同時に秀吉は朝鮮南部を日本のものにすること、朝鮮を日本に臣服させることなどを求めたそうです。(「明代抗委舰队和明代下西洋舰队中率领这两只舰队的人物」より)
そして、明側は秀吉の求めを断ったため、秀吉は二度目の朝鮮出兵を行いましたが、途中で病になり、帰らぬ人となってしまったんですね。
当時の三国の関係がわかる、面白いエピソードです。
秀吉が中国皇帝の娘を日本の皇后にしようとしたってホント?