連日話題が絶えないアメリカ大統領、トランプ氏。彼の娘でありユダヤ系大富豪クシュナ氏と結婚しているイヴァンカさんについて、日本のwikiにこんな記述があります。
(イヴァンカさんは)娘のアラベラには中国語を学ばせており、春節の際にはアラベラとともに中国大使館を訪問している
このアラベラちゃん、おそらく「日本のマスコミが伝えないトランプ氏の子供達の経歴」で触れた、ユダヤ教徒のための幼稚園に通ってる娘さんでしょうね。
またフェイスブックの創設者であり、やはりユダヤ系のザッカーバーグ氏も親中家として有名ですね。妻も中国系です。
一方、中国側もユダヤ教徒に対しては、キリスト教徒、イスラム教徒に対するより寛容だといわれています。
タルムードの秘密、ユダヤ人の富の法則といったような本も、中国でよく売れるそうです。
ユダヤ人と中国人がなぜ互いに親和的なのか?それは過去記事「なぜ中国人の移民は成功しやすい?かつて日本人も持っていて失ったもの 」でも触れた、両者の歴史を知れば、よくわかります。
今回の記事は、そんな歴史の一部です。
中国人ユダヤ教徒の長い歴史
あまり知られていませんが、中国は古代からユダヤ教徒を受け入れてきた土地です。
口承によるとユダヤ教徒の中国への最初の移住は紀元1世紀、漢の明帝の時代にペルシアを経由してやってきたとされています。
また同じころにインドを経由して移住したことを記録した石碑もあります。
宋の時代にもまた移住の記録があるそうです。
中世には開封(河南省)、杭州(浙江省)、寧波(浙江省)、揚州(江蘇省) 寧夏(浙江省).などに多くのユダヤ系住民のコミュニティがみられたといいます
彼らは伝統的に青い帽子をかぶっていたため、「藍帽回」(青い帽子の回族)と呼ばれていたそうです。回族といえば、中国におけるイスラム教徒の民族の呼び方ですね。
漢民族はイスラム教徒とユダヤ教徒の違いについて、あまりよくわかっていなかったようです。彼らは長い間、イスラム教徒(回族)と一緒に扱われていました。
また実際にイスラム教に改宗した者もあるといいます。
明朝になると、ユダヤ教徒たちは皇帝によって決まった苗字を与えられます。
艾(Ai), 石(Shi), 高(Gao), 甘(Gan), 金(Jin), 李(Li), 張(Zhang), 趙(Zhao ).
この八つ。・・・なんだか普通の中国人でも珍しくない苗字ですね。
1605年、中国を訪れたマテオ・リッチは一神教徒だという艾(アイ)という青年に会います。リッチがイエスとマリアの画像を見せたところ、アイはその絵をレベッカとエサウかヤコブの絵だと解釈したそうです。
ユダヤ教徒の信仰する旧約聖書において、レベッカとはユダヤ民族の祖アブラハムの嫁、エサウとヤコブはその息子たちです。
彼らは中国国内にユダヤ教の寺院を建て、食事制限などユダヤ教の教えを守って生活していました。
そして自分たちを、ユダヤの失われた十支族に属するものだと主張してきたといわれています。
中国 河南省に現在も続くユダヤ教
河南省 開封には現在でもユダヤ系の伝統を守り続けているコミュニティが存在します。
日本ではあまり知られていませんが、Kaifeng Jewsで検索すると、たくさんのページにヒットします。
もっとも漢民族や満州族などとの結婚、混血が進んだため、外見はわたしたち東アジア人と変わりません。人数は500人ほどです。
彼らは国内では漢民族として扱われ、少数民族としての特別待遇は受けていないそうです。
開封のユダヤ教徒が残している歴史的資料はわずかです。しかし、西側諸国のユダヤ系の間では非常に重要なものとみなされています。
オハイオ州シンシナティのヘブライ・ユニオン・カレッジには彼らによる中国語の祈祷書とヘブライ語の聖書の写本が保存されています。
また英国図書館には開封のシナゴークにあったトーラーの巻物が保存されているそうです。
このように開封のユダヤ教徒たちは、欧米のユダヤ系からも正当性を認められています。実際にイスラエルの市民権を得ることを認められた開封の民もいます。
イスラエルという国はユダヤ人の子孫でありさえすれば、帰還法という法によって市民権を得ることができるのです。
ただイスラエルがユダヤ人の末裔と認めるには、母親がユダヤ教徒であることが求められます。
開封のユダヤ教徒たちは父方の伝達によって信仰を維持してきました。
そのためイスラエルの市民権を得るためには、父方から母方への伝達方法の変更を求められるそうです。
以下は開封のユダヤ教徒たちがイスラエルを訪れ、現地のユダヤ人たちに迎えられたときの場面です。
(Youtube Chinese Jews from Kaifeng arrive in Israel 2009より)
このように彼らの外見は完全に東アジア人のものですが、普通に受け入れられていますね。
同祖論はデタラメじゃない?
さて、上に述べましたように、以下の地域にも過去にユダヤ教徒コミュニティが存在した記録があるそうです。
杭州(浙江省)、寧波(浙江省)、揚州(江蘇省) 寧夏(浙江省).
浙江省、江蘇省と中国南東部に集中してますね。そして、この二省は地理的に日本ととても近いです。台湾より近いぐらい。
このうち、江蘇省は中国の古代国家、呉があった地域ですね。
呉の民が弥生人のルーツである可能性が高いことは研究からよく知られていることです。(参考記事:「日本皇室は中国の呉の王族の末裔なのか」)
そして浙江省は同じく中国の古代国家、越があった地域です。鳥越憲三郎氏の研究によると、越からもまた、日本列島に移民してきた民がいると考えられています。そして中国では呉と越の民は同じ民族だったと考えられています。
日本への多くの移民を出したとされる呉、越の滅亡時期は紀元前4~5世紀です。そのころすでに江蘇省、浙江省には日本に渡れるだけの航海技術があったということです。
その後もあまり日本では知られていませんが、大陸から日本への移民は断続的にありました。水戸黄門にラーメンを振る舞った朱舜水も、中国から日本に亡命してきた人物ですね。江戸時代すら、そうした移民はあったということでしょう。
(水戸黄門と朱舜水のつながりとは→「明治~戦前の偉人たちを生んだ漢学 これが本来の日本の道徳」)
そしてユダヤ人の中国への移住の記録がでてくるのが1世紀。
日本人の先祖がユダヤ人であるという説、いわゆる日ユ同祖論の根拠としては伊勢神宮が有名ですね。
ユダヤのシンボル六芒星が彫られている灯篭は実際は昭和のものだそうですが、熱心に研究している方々によると、他にもユダヤ文化とのつながりを思わせるものはあるといいます。
伊勢神宮を建てたのは崇神天皇と考えられています。
崇神天皇の没年はwikiによると258年か318年と推定されるそうなので、伊勢神宮は3世紀か4世紀に造られた可能性が高いでしょう。
呉、越の中国人(弥生人)の日本への航海、移住が可能になる(紀元前5世紀)
→ユダヤ人中国移住(1世紀)
→伊勢神宮建立(3世紀以降)
この順番を考えると、ユダヤ人そしてユダヤ文化が日本に渡来していたとしても、不思議はないかもしれませんね。
http://hexagon.inri.client.jp/floorA1F/a1f1304.html
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9C%8B%E7%8C%B6%E5%A4%AA%E4%BA%BA
http://web.joumon.jp.net/blog/2008/09/594.html
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