「NHK-BS1スペシャルで知る戦前、戦後のブラジル移民の現実」(前)の続きです
戦後のブラジルの日本人たち
ブラジルの都市部に住み、比較的豊かな生活を送り、日本の敗戦をいち早く知った人たちは、ブラジルの日本人の間で「負け組」と呼ばれていました。
「日本の負けを信じてた」という意味での「負け組」ですね。
敗戦を知った負け組の人たちは、同じ日本人により早く新しい状況に対応してもらおうと、自分達の知る情報を広めようとします。
けれども当時、テレビは当然なく、文書か口頭でしか情報を伝えることができませんでした。
こうした敗戦を積極的に口にする「負け組」の行動に、敗戦を認めない「勝ち組」は、逆に憎悪を燃やしていきました。
ラジオさえ買えない貧しい彼らにとって、大東亜共栄圏のリーダーたる偉大な母国、日本に帰ることだけが心の支えだったのです。日本の勝利は苦しい彼らの人生の逆転の夢を意味してもいたでしょう。
都市部で彼らより上の生活水準で暮らしている「負け組」への嫉妬もありました。
現地のブラジル人からの客観的な言葉があれば、少しは効果もあったかもしれません。しかし都市から離れた僻地に日本人同士かたまって住む「勝ち組」の人たちは、ブラジル人の言葉であるポルトガル語を理解できないのです。
さらなる悲劇へ
ついに「勝ち組」の人々は徒党を組み、「負け組」の人々を襲撃するようになっていきます。日本人が日本人を殺す殺人事件も多々起こりました。犯人の日本人たちはブラジルの刑務所に服役しました。
勝ち組は負け組を憎み、負け組は勝ち組を恐れ嫌忌し、日本人同士の間に大きな亀裂が入りました。
結婚も「勝ち組」同士、「負け組」同士の家で行われるようになり、分裂は世代を超えて引き継がれだしました。
そこへ、国の主導による満州の日本人移住者の引き上げが行われ始めたというニュースが入ります。
ブラジルの「勝ち組」たちはそれを知って非常に期待しました。自分達のことも国が迎えに来てくれるかもしれないと思ったのです。帰国を望む「勝ち組」たちは熱心に日本政府に働きかけました。
番組内でインタビューを受けた男性の「勝ち組」だった父親も生涯、日本への帰国を希望していたといいます。
「日本の船が迎えに来る」といつも窓の外を眺めていたそうです。
しかし迎えが来ることはなく、やがて父親は「宇宙人が迎えに来る」など口にし、正気を失っていきました。そしてブラジルに骨を埋めることになりました。
日本人にとっての檻 "日本語”
多くの日本人は日本語しかできず、日本語を使う民のための政府は一つしかありません。
悪名高い大本営発表のように、たとえ嘘でも権力者側がそう伝えようと思えば、日本語しかわからない人たちにとっては、それが真実になってしまう。
日本人は日本人であるだけで、簡単に権力側に情報操作されてしまうのです。他国のように政府がわざわざ情報の管理統制をする必要もない。
権力者側も、外から入手する不愉快な情報から顔をそむけて、日本国内さえ見ていれば、自分らの流したウソを信じる人々に囲まれて、欺瞞と現実の区別が曖昧になっていくことでしょう。
日本人は独裁に弱い民族だといえるかもしれません。
もし、大日本帝国に中国と台湾、シンガポール、または韓国と北朝鮮のように
同じ言葉を話し、違う政府をもつ国があったら、どうだったでしょう?
あれほど情緒的で、一つの価値観に凝り固まった国にはならなかったのではないでしょうか?
臣民でない日本語民がいたら、御真影を守るために火事の家に飛び込んだり、特攻のような自滅的な攻撃をする同胞に対して、どう思ったでしょう?
私たちから見た、ダライラマのために焼身自殺するチベット人のように見えたのではないでしょうか。
そうした冷静な言葉を自分達の言語で言われれば、どんなに腹が立っても夢を見続けることは難しい・・・。
北朝鮮がアメリカに対して挑発的な行動を続けながらも、大国妄想に身を投じて、
真珠湾攻撃のような行動に走らないのは、韓国の存在が大きいのかもしれません。
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