日本の伝統に思うこと

戦後の日本人の原風景はアメリカドラマ

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敗戦後に生じた一戸建て信仰

かつてほどの熱はないものの、日本ではいまだに一戸建ての建売住宅は人気を集めています。
日本の都市周辺で電車に乗っていれば、必ずといっていいほど建売住宅が立ち並ぶ姿を目にします。しかし戦前に建てられた建売を目にすることはありません。一体、どのような経緯で日本に増えていったのでしょう。

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新築一戸建て分譲の歴史より

 

上のグラフによると、新築戸建て分譲住宅は1960年代後半に増えていき、70年代にピークを迎えます。

当時は集合住宅といえばマンションより団地、アパートをイメージする人が多く、一方で、庭付き一戸建て=建売住宅は非常に人気がありました。

そしてバブル到来。都内でない、しかも駅からバスを使わなくては通勤できないほどの郊外さえ一戸建てが建ち、しかも高値で売れたことはよく知られています。

 

一戸建て信仰はどこからきたのか

なぜ、こんなにも戦後の日本人は一戸建てにこだわるようになったのでしょう。
シンガポールや香港といった日本より平均個人所得が高い地域でも、戸建てより利便性の高いマンションのほうが人気があるのです。経済的な理由ではないでしょう。

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1974年に一世を風靡した「あなた」という曲をご存知でしょうか?
この曲の歌詞には未婚女性の一戸建ての家への憧れが綴られています。

「大きな窓と 小さなドア」
「部屋には古い 暖炉(だんろ)」
「真赤なバラと 白いパンジー」
「ブルーのじゅうたん」
「そして私は レースを編む」

この曲のレコードは200万枚売れたそうです。今の感覚でも大変な数ですね。

作詞作曲した小坂明子さんは1957年生まれ。ちょうど終戦して干支が一周回ったところで生まれた方です。この頃になると戦後の貧しさもかなりぬぐい去られていたことでしょう。

それにしても、この歌詞、洋風なモチーフばかり歌っています。
従来の日本家屋を思わせる言葉はありません。

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「アメリカは何でも持っている!」テレビと輸入ドラマの時代

私の高校の頃、小坂さんとほぼ同世代だったろう社会科の教師が、彼らの世代に大きな影響を与えたというドラマについて語ったことがありました。
タイトルは「パパは何でも知っている」です。

1964年の東京オリンピックの頃、庶民の家庭でテレビが一般的になりました。
貧しさを乗り越えて、ようやく手に入れたテレビという文明の魔法の箱に、日本の子供も大人もかじりつきました。

「パパは何でも知っている」は、ちょうどその時代、1962年~64年に日本で放送されたアメリカのホームドラマです。
本国で制作されたのは1954年、太平洋戦争の終了からほぼ10年後ですね。

1970年代頃まで、日本の民放テレビ局はこうしたアメリカドラマを頻繁に放送していました。日本でスタートレックの知名度が高いのもそのためです。

「パパは何でも知っている」に登場するのは思慮深い営業部長のパパ、夫を立てる聡明なママ、3人の子供たち。古き良き家父長制の家庭です。

そして、テレビをようやく手に入れた日本の庶民から見ると、彼らはまぶしいほど豊かでした。

馬鹿デカイ冷蔵庫にギッシリ詰まった、これまた馬鹿デカイ牛乳や肉類。
出てくる料理はどれもレストランのメニューかと見紛うばかりで、馬鹿デカイ家に住み、馬鹿デカイ車を乗り回し、
掃除機や洗濯機、テレビを当たり前のように使っている家庭。

昭和テレビ大全集

このドラマの後、それ引き継ぐようなタイミングで「奥様は魔女」の放送が始まっています。

「奥様は魔女」は今でもたまにパロディや音楽がテレビで使われたりするので、若い世代でも知ってる方は多いのではないでしょうか?

日本での初放送は1966年から1970年でした。けれども、私の子供の頃の70年代終わり~80年代初頭にも再放送が行われていました。今でもyoutubeなどで一部を見ることができます。

ドラマに登場する魔女サマンサは専業主婦。裕福な広告マンの夫を持ち、二階建ての立派な洋式の家に住んでいます。家には大きなオーブン、ピアノ、もちろん暖炉もあります。幼い娘はかわいいレースのエプロンを着せられ、庭に花を植えるシーンもあります。

まさに、放送後の1974年に大ヒットする「あなた」の世界です。

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幸福の幻を追いかけて

戦後の日本人は一生懸命に働き、豊かになっていきました。
しかし、戦後生まれの日本人が住みたいと思い描いた家は、昔ながらの和風の美を持つ家ではなく、ドラマで見たアメリカの裕福な層が住むような家でした。
そして築きたい家庭は、自分達が育ったような戦前の儒教的な価値観を引きずる家庭ではなく、ドラマで見たような大人と子供がフレンドリーな関係の家庭でした―――

英語スキルがアジアで底辺といわれるほど低いにもかかわらず、日本人がアジアで一番と言っていいほど欧米風のものを好む理由
―――それは、戦後の多くの日本人の目標が、自分達の先祖や身の周りにいる日本の先人たちの知恵や豊かさではなく、テレビに映る夢物語だったからではないでしょうか?特に女性はそうなのではないかと感じます。

 

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アメリカでは1970年代にウーマンリブ運動がおこり、「あなた」の歌詞のような家に住む専業主婦は過去の1ページになりました。今、多くの日本人がアメリカに対して持っている男女平等なイメージは、まだほんの半世紀程度の歴史のものなのです。それまでは、まさにサマンサのような家庭にいる良妻賢母がアメリカの一般的な女性像でした。

戦後、日本はアメリカのあらゆるスタンダードをコピーしました。当時のアメリカがよしとした専業主婦の女性像も、そのひとつでした。

その後、コピー元のアメリカが変化し、姿を変えたというわけです。

ですが、日本の場合、過去のスタンダード下での時代が高度成長期~バブルという、明治以降の歴史で最も豊かで成功した時代と重なっていました。その成功体験が、戦後うまれの日本人の中にある、テレビを通して知った豊かさや幸福のイメージとリンクして、今の日本の保守層の家庭観を固めたのかもしれません。

戦後、日本はずっと欧米先進国をお手本にして、それとともにありたいと願ってきました。
けれど、多くの日本人の心にある欧米のイメージは、ほんとうの欧米の姿からずれた、昭和のブラウン管が映した実態のない夢の中にあるのです。

 
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