「高度成長期の日本人が語る「禅」。英国BBCが映す40年前の日本の信仰」で触れたイギリスBBCによるドキュメンタリー「The Long Search」(1977)では、日本を取材した回において、禅にならんで浄土宗についても時間を割いています。
BBCはもともとは禅のみを中心に特集する予定だったようです。それが、なぜ阿弥陀仏信仰(浄土宗)も取材しようという気になったのかというと、取材先の禅の僧侶が、日本の歴史上で民衆の間に最も影響を及ぼした勇敢かつ最良の宗派は浄土宗だと述べたからだそうです。
BBCの簡単な説明によると
浄土宗=Pure land buddhismの「浄土」とは、阿弥陀仏の国であり、誰もが転生する場所だといいます。
そして浄土の主だる阿弥陀仏は、すべてのものに対して、いつの日かそこに加われることを約束しているというのです。
南無阿弥陀仏と唱えるだけで浄土に行けるという教えは、日本国内でもよく知られていますね。
私は今回の投稿を書くまで「南無阿弥陀仏」が浄土宗ならではの念仏だということすら知りませんでした。
しかし、調べてみると、この浄土宗、いわゆる「日本人らしさ」の源なのでは?という感想を持ちました。
BBCはまず京都の西本願寺の書院を訪れ、高僧に紹介され、そこから僧侶のコマダ氏の案内で二人の世俗信者のもとを訪れます。
一人目は都内で靴店を営むイマムラという老婦人と、その家庭です。
彼女は靴店を手伝ったり家事を行う子供夫婦と孫たちとともに、ごく一般的な暮らしをしています。
「家庭の温かさが浄土につながってるとお考えですか?」というコマダ氏の問いにイマムラ夫人は、
極楽浄土とは母が子を愛するようなものであり
浄土宗は心を温かくしてくれる太陽のようなものだと答えます。
そして阿弥陀仏の愛は太陽より暖かく、どんな母の愛より大きいと。
また浄土への道は、浄土宗を信じない人たちにも開かれているといいます。
他宗教の人たち含め、すべての人たちは最後は阿弥陀仏の愛のもと浄土に行きつくと彼女は語ります。
・・・日本人は他宗教に寛容です。キリスト教の聖人を祝うクリスマスやバレンタイン、教会での結婚式はすっかり社会に定着しています。また海外に出向いたときも現地の宗教、習慣に柔軟に同調する人が多いですね。イスラム教圏に派遣された日本人が、現地の人々になじもうとイスラム教徒でもないのにラマダンで断食していたという逸話さえ読んだことがあります。
こうした日本人の宗教へのこだわりのなさ、無節操さは、しばしば外国人から異様と受け止められたりします。日本人自身、自分たちの宗教観を不思議に感じることすらあるようです。しかし、その根底には、すべてのものが最後は同じ浄土に行きつくという、八百年にわたり民衆の間に伝わり続けてきた日本ならではの信仰心があったのかもしれません。
また、この信仰は死者を辱めないという日本独自の文化にも繋がってるのではと思います。生前、どのような人だったとしも、死後は阿弥陀仏の愛によって我々とひとつになるのだという浄土信仰が、死者への寛容さにつながっているのかもしれません。
もっとも、この寛容さは、異民族、異文化の存在をあまり考慮する必要のない極東の島国の歴史の下だからこそ可能だったともいえるでしょう。
周辺の異民族との摩擦を避けられない地域では、敵と味方の区別をはっきりさせることが重要になります。最後はすべて同じなのだと受け入れているだけでは自国の文化が呑まれてしまいます。
次にBBC取材チームはコマダ氏にいざなわれ、ワイヤー製造会社を経営するスギタ氏のもとを訪れます。
カメラが映す従業員たちは機械を前にしてワイヤー製造に精をだし、それを運び出す・・・工場労働です。
スギタ氏は同じく浄土宗を信仰する社員らのために一室を提供し、コマダ氏がそこで人々を前に説教を行います。部屋には阿弥陀仏がまつられた仏壇がおかれています。BBCにいわせるとプロテスタントのやり方に通じるものがあるようです。
興味深いのは、この集会が、仏が未来に起こすことに期待しての集まりではなく、すでに行われたことに対する感謝のための集まりと位置づけられてる点です。
期待より感謝・・・
そういえば「日本人はありがとうと言いすぎ」という海外からの評価をよく聞きますね。
日本では基本的に「ありがとう」は言えば言うほど相手にプラスの印象を与える言葉
だと思いますが、「そんなにありがとうと言わなくて良いのに。友達なのに距離を感じてしまう。」
と何回か中国人の友達に言われたことがあります。
(中国語では、「どういたしまして」の一つの表現として「不用謝」というのもあります。)
http://jp.nahokotoyonaga.com/?p=705
・・・これは仏教の伝来元である中国でさえ持たない、浄土宗の特性が生んだ精神といえるかもしれません。
浄土宗を始めたのは平安末期の僧侶、法然だということは歴史の教科書にも載っていますね。
実は浄土宗と呼ばれる宗派は中国にも存在します。その歴史は古く、法然に影響を与えたとされる唐の善導大師は法然より500年も前に活躍した人物です。
しかし念仏をとなえれば誰でも浄土に行けるという教えは、法然による独自のものです。
そして、この簡単さゆえに、字が読めず学ぶ余裕もない庶民、貧民にも浄土宗は広く信仰されるようになります。
また「中国人が驚いた日本のお坊さんには許されてること」で触れましたように法然は初めて妻帯を始めた僧侶でもあります。
・・・ごく一般的な生活をしていても、法然の阿弥陀仏なら受け入れてくれる。
寛容で平和的な信仰は、広い人気をもって、代々引き継がれていきました。今の日本人は浄土宗を知らなくても、浄土宗の精神を「日本人の美徳」として漠然と知っているような状態といえるでしょう。
法然の生んだアジアで他にない浄土宗に宿る価値観は、日本人の精神もまた独自のものにしたかもしれません。
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