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英語が話せないのは努力不足のせいではない
日本人はしばしば、欧米人と通訳なしで対等に会話できる姿に憧れます。
失われた30年の間、日本社会が最も力を入れてきた教育分野が「英語」であるという点を否定する方はいないでしょう。
しかし、それにもかかわらず、日本人の英語力はアジアでも下位にあります。
「日本人は内気すぎて話す機会を避けるからだ」
「とにかく積極的に話すことだ」
このような指南書やアドバイスが巷にあふれています。
しかし本当の問題は「話せない」ではなく「聞き取れない」だと思います。
子供も言葉を話すようになるのは、親の言葉を聞き取り、理解できるようになった後です。
正しく「聞けない」から、正しく話せない。だから自信が持てない。
この理由は、学習者の努力不足ではなく、わたしたちの母語である日本語の特殊さにあるのです。
英語は「ア」が四種類!
10年ほど前から、日本でも発音方法を重視するフォニックス学習法がよく紹介されるようになりました。
英語と日本語は文法以上に発音方法が大きく違います。
日本語における母音はアイウエオの5種類です。「ん」を除く発音は、この5種のどれかにあてはめられています。
しかし英語の母音の数は、もっと多いです。5種類ではとてもおさまりません。
「ア」だけでも4種類あります。
日本語と大違い 英語の4種の「ア」
ʌp
ʌは短い呼吸で驚くように出す「ア」。
ˈɚːli
əは唇をかるく開けてリラックスして出す「ア」
ˈæpl
æは唇を横に開いて「ア」と「エ」を同時に言う感じで出す「ア」
άɚm
ɑは口を大きく開けて出す「ア」
「アメリカ人やイギリス人は、この4種の「ア」を聞き分けてたのか・・・」
私は1980年代に英語を学びましたが、発音記号の意味について詳しく教えた教師はいませんでした。
英語のテストには発音についての問題がつきものですが、多くの学生がテキストの発音記号の丸暗記で対応していました。
そのため、上記の4種類の「ア」について知った時は非常に驚きました。
SiとShiや、LとRの発音の違いはよく言われることですが、それ以上に区別が難しい差です。
日本人が英会話を学ぶことは白黒写真に色を与える作業
英語の四種類の発音「ə」「ʌ」「æ」「ά」が、日本人の耳に入ると、すべて単一の発音「ア」になってしまう・・・。
もし私達日本人が、イとエの聞き取りの区別ができない外国人がいると知ったら、さぞかし日本語の習得に苦労するだろうと思うでしょう。
日本人のヒアリング学習は、そこまで極端ではないものの、それに近いものがあるのです。
一方、世界の言語は日本語より発音が複雑なものが一般的です。
外国人の多くが、日本人より簡単に英会話を習得できるのは、生まれた時から母語によって、微妙な音の聞き取りができるよう鍛えられてるからです。
彼らの間では、日本語は「聞く・話す」だけなら簡単な言語だといわれています。
「日本のアニメやドラマをみて独学で日本語を覚えた」という外国人が多いのもそのためです。
日本人が同じ方法で外国語を覚えようとしても、なかなかうまくいきませんね。
カラー写真を白黒にするより、白黒写真に色を与えるほうが、はるかに難しいのと同じです。
よく言われる「日本語は世界有数の難しい言語だ」という言葉は、漢字の読み方の多さや、送り仮名の複雑さを指すのでしょう。
あまりにも単純になりすぎてしまった現代日本語
元々、日本語は現在ほど単純な発音の言語ではありませんでした。
現代では学習テキストからカットされていることも多い「やゐゆゑよ」「わゐうゑを」の「ゐ」と「ゑ」。
これらは少なくとも平安時代までは「い」「え」とは違う発音でした。
「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」も、それぞれ違う発音方法でした。
「はひふへほ」も今の「h」+母音ではなく、一旦唇を合わせてから発音する英語の「f」に近い発音方法だったと考えられています。
こうした複雑な発音と、それを聞き取る能力は、江戸時代には既に多くの人が失っていました。それでも地方によっては近代まで細々と残っていたケースもあります。
しかし、その後、テレビの普及で全国の日本語の統一化が進み、それから2世代以上経た今は、完全に消えてしまいました。
もし複雑な発音を保持し続けていれば、現代日本人は英会話の習得に、ここまで苦しまずにすんだのではないかと思います。
しかし、どうしようもありません。世代交代が進んでしまい、教えられる人は誰ひとりいません。
幼児英語教育のなれのはて
こうした聞き取り、発音力の弱さを克服しようと、日本では幼いうちからの英語教育が盛んですね。
裕福な家庭になるとインターナショナルスクールに入れる場合もあります。
しかし、そう育てた結果、新たな壁にぶつかることになります。
「幼児教育で英語が堪能になった日本人は、果たして英米現地にいるアジア系とどう違うのか?」という点です。
ネイティブ並に話せるぐらい英語に囲まれて育った人ほど、周りにある文化も英米式のものになります。きちんとした日本文化を英語で教えられる人は、日本にさえほとんどいないからです。
つまり、彼らができることの多くは英米で育ったアジア系と同じことです。
たとえばグローバル系の教育機関で育った人ほど、ピアノ、バイオリン、バレエ、ヒップホップダンスといった欧米文化の習い事が身近ですね。現地で育つアジア系もそうです。学習内容も、現地にある本場の学校と同じ内容を目指すほど、近くなります。
結果、こうして英語特化で育った日本人を、グローバル視点で見た場合の一番の取り柄は、皮肉にも「日本語がネイティブレベルにできる」という点だったりします。
西側先進国の語学と文化に精通しているけれども、自国民として何ら独自なことを世界に提唱することはできない。これではアフリカや中南米などの後進国地域によくいるタイプのエリートと変わりません。
幼いうちから英語能力の開発に力を入れるほど、日本人人材としての特色を失ってしまう。これは母国文化で育つことが、そのまま複雑な発音の聞き取り力を与えてくれる外国人にとっては、あまり考えなくてよい問題です。日本人ならではのジレンマです。
日本人は英語とどうつきあうべきか
日本人にも生まれつき耳のよい人があり、こうした人は日本語環境で育っても少し訓練すれば、かなり上手に英会話ができるようになります。
しかし、そうでない人は、英会話習得への努力はほどほどでよいと個人的には思います。
母音の少ない言語を母語とする日本人にとって、英会話学習は苦労の割に実りが少ないものです。
かわりに日本人がやるからこそ光ることを学びましょう。
私たちが、たとえ黒帯の持ち主であっても白人から柔道を学びたいと思わないように、文化と民族というものはどうしても結びついているものです。
ヨーロッパのオーケストラが世界から高い人気を得ている一方、それよりはるかに多く存在する南北アメリカのオーケストラがあまり注目されないように、世界のお金を動かすことができるのは、文化と民族が一致しているときなのです。日本人含め、世界の人々はみな「本場のもの」にお金を払いたがるのです。
寿司レストランも、日本人の寿司職人なら、たとえ半年しか訓練を受けてない人でも現地で歓迎されるといいますね。
近年は、英語に堪能なことを生かして欧米企業で働くことが日本人の成功モデルとして取り上げられることが多いです。しかし、こうした外資系で働く人々がエリート扱いされるほど、日本は第三世界に近づいてるともいえます。自力で輝いている国で、そうした人々が羨望されることは、あまりありませんから。
英語学習は確かにためになります。英語がわかるだけで、日本に入ってこない情報を入手することができます。私自身、非常に恩恵を受けてきました。
しかし、日本人が日本的な分野を学ぶ機会を押しのけてまで、注力するほどのものではない・・・そうしなかったからこその「失われた30年」ではないかとも思います。
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/monthly/monthly110201.html
https://www.hmv.co.jp/news/article/312230009/
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