近年、将来的に日本のノーベル賞受賞者の減少が見込まれるという記事がよくみられますね。それらの多くは、研究資金の減少をはじめとする環境悪化のせいと主張しています。
ことし3月、世界的な科学雑誌「ネイチャー」は、日本の科学研究が失速し、このままではエリートの座を追われかねないと指摘しました。
「大学法人化以降、毎年運営費交付金が1%削減されていて大学は、基礎体力をここ10年奪われてきた。」
(ノーベル物理学受賞学者 梶田隆章氏) NHKニュース
まだ1980年代はよかった。経済成長しており、科学技術予算もそれなりにあった。
日本のノーベル賞受賞者は、10年後には激減する! ~データが示す「暗い未来」。論文の数があまりに足りない 高橋洋一(現代ビジネス)
上引用のような、日本が不景気になったことによって、科学技術予算が減り、その結果として論文も減ったという意見は多いです。
しかし、個人的に、これには大いに首をかしげたいです。
お金が足りないせいだというなら、敗戦後まもなく受賞した湯川教授はじめ、まだ日本が貧しかった時代に出た、多くのノーベル賞受賞者はなんだというのでしょう?
80年代半ばからバブル景気は始まりますが、それ以前の日本といったら、先進国と呼べるのか疑問な経済状態でした。
(関連記事「バブルは日本をどう変えた?日本人の死生観」
「知ってほしいバブル期前の日本 1970年代の日本」)
またバブル期は社会インフラも今とくらべると、まだ整備不足なところが多かったです。景気がよくても、その分、お金を回さなくてはいけない場所が今よりたくさんありました。当時を知らない世代が思ってるほど豊かというわけではありませんでした。
少なくとも昭和までのノーベル賞受賞者たちの研究環境と比べると、今の研究者はまだまだ恵まれているほうでしょう。
それに小保方さんの件で、高級家具カッシーナにお金を費やす理研の金満体質もニュースになりましたね。
今の日本の理系の研究施設が、お金が足りないって意見はちょっと?どうでしょう?
私が思うに、お金が主な理由ではない・・・。
たぶん、日本の理系の研究者の「質」が変わったのです。
知よりも競争に興味がある「賢い人たち」
以下は冒頭でとりあげた元官僚、高橋洋一さんがこの問題について述べている引用元の一部です。彼は日本の右派の間で有名な方ですね。
理系の人にはわかると思うが、自然科学はとにかく楽しいのだ。だから、研究といわれても遊びの延長であって、やるのは名誉のためではなく、単に楽しいからという理由が多いだろう。研究する人の多くの不安は、「遊んでいて」食っていけるかどうか、というものだ。
1955年生まれの高橋洋一さん。彼は理系というのはこのようなものだと考えているようですね
しかし、70年代序盤生まれの私が思うに、下の世代になるほど、高橋さんが思うような昔ながらの「理系」は少なくなってるんじゃないかと思います。
現代の高学歴の典型 菊川怜さん
今年、タレントの菊川怜さんが、ある男性と結婚したことが話題になりましたね。
(参考記事:「【文春砲】菊川怜の夫に第4の婚外子が発覚 / ネット「女子高生囲うとかゲスすぎ」「養育費払えよ」「5人目も来そうな気配ですね」など」)
男性は料理サイト クックパッド関連で有名な実業家です。表面的には「勝ち組」「セレブ」といわれるだろう成功者です。
しかし財力や地位にものを言わせて多くの女性と関係をもち、妊娠させると責任をとらず音信不通になってしまう男性だと報じられています。
東大卒の才媛であることが売りの彼女が、なぜ、こんな男性を選んでしまったのか・・・ネット上では夫ばかりでなく、承知で結婚した菊川さんの人間性まで疑問視される事態になりました。
都内の女子高で一番偏差値の高い中高一貫私立、桜蔭高校を出て、東京大学にストレート合格した菊川さん。
理系の彼女は東大では建築学部を選択しました。しかし、慶応大学の医学部も受験して合格していたといわれています。
東大では医学部を受験せず、慶応では医学部を受験する・・・
菊川さんは一体、大学で何を学びたかったのでしょう?
私が思うに、菊川さんは教育産業が出している大学の偏差値ランキングの上から順に、自分の偏差値で合格できそうな受験校、進学先を選んだのではないかと思います。
偏差値ランキングの上位入りを目的に一流大学を受験する学生は、決して珍しい存在ではありません。
私が学生だった80年代から、医学に興味がない東大医学部の生徒の存在は、よく知られたことでした。
彼らが医学部に入るのは、医学に興味があるからではなく、東大医学部が日本で一番偏差値が高い進学先だからです。
こうした生徒の間には当然、医師に向いてない性格の人も存在します。
東大医学部の教授だった養老孟司氏もベストセラー「バカの壁」で困った生徒の件に触れ、このことが世間に広く知られるようになりましたね。
私がバブル期に関係者から聞いた話によると、教授たちは人格的に臨床に適さないと思った生徒に、研究者の道を勧めるそうです。養老氏も、そんな教授の一人だったのかもしれません・・・
東大進学者数の多さでランキング上位になるような中高一貫進学校では、理系で国立の上位校に行かないとバカにされる風潮があるといいます。
彼らの価値観で「下」とみなされる大学、学部に進んだ人は、卒業後までバカにされるそうです。
生徒たちは中高一貫の六年間の間に、こうした上下意識に凝り固まります。そのため希望どおりの大学に合格できないと、浪人してでも上位校をめざす傾向だといいます。
受験レースの勝者の空虚な未来
受験レースの勝者として尊敬されたい、憧れられたい・・・それだけの理由で一流大学に入ってくるエリート学生たち。
彼らはレースに勝つために勉強してきたのであって、やりたい研究テーマなんて最初から持ってない人がほとんどです。
そして研究するにしても、人から軽んじられるような地味な分野なんかやりたくありません。
スターの自分にふさわしい、人気の分野を狙います。
しかし花形の研究分野は海外でも人気で競争率が高いです。加えてエリートな自分が大好きなこうした研究者たちは、突飛なことを言って恥なんかかきたくありません。著名な研究者の業績を横目で見ながら後追いです。
でも、そんな後追い研究者が書いた論文を引用したがる人が、どのぐらいいるでしょうか?
・・・論文の世界でレースの勝者になれないと気付いた「元エリートの研究者」は次第にやる気をなくしていきます。論文発表は資金を引き出すため、仕事をしていると周囲に証明するためのノルマのようなものになっていきます。
小保方さんの件のときにも、論文ノルマと給料の関係が少し世間に知られるようになりましたね。
東京大学に限らず、今の40代以下で、周囲からすごいと言ってもらえそうなブランド校に行った人たちには、多かれ少なかれ、こうした傾向があります。
日本人の生まれながらのIQは世界的に高い水準にあります。日本の優秀な学生たちは、世界基準でみても能力の高い学生たちでしょう。
(参考記事:「世界のIQランキング。日本人が知らない民族の序列 」)
日本が豊かになって以降に育った「優秀な学生」。その多くは教育熱心な親たちによって、小学校から塾に通い、教育産業にのせられるまま受験競争を勝ち抜き、普通の子供たちの羨む視線を背に、名のある学校に入ります。
しかし、その過程で植え付けられるのは、自分自身しか利さないポンコツな価値観です。
こうして育った人は、初老になってさえも、若き日の模試の順位を一番の誇りとして語る人が少なくありません。
大学を卒業してからずっと「模試で何番をとった日本人の中でも優秀な自分」という鏡をうっとりながめるだけ・・・彼らの社会人として過ごした時間は何なのでしょう?
本当に悲しくなるほどの能力と才能の空費です。
ノーベル賞世代とツチノコブーム
高橋洋一さん世代が知る、「楽しいから研究する研究者」と、
私のような世代が知る、「自分の優秀な頭脳が好きな研究者」
・・・この変化の間に横たわるものは何なのでしょう?
戦前生まれの受賞が多いノーベル賞ですが、戦後生まれでも受賞している研究者は存在します。
梶田 隆章氏 1959年生まれ
田中耕一氏 1959年生まれ
天野 浩氏 1960年氏生まれ
一番若いのはテレビでよく見る山中教授。1962年生まれです。
私の属する第二次ベビーブーム世代より10歳ほど上の世代ですね。
彼らのような上の世代にはあって、私達以降の世代ではなかった、ある流行があります。
ツチノコブームです。
ツチノコ(槌の子)は、日本に生息すると言い伝えられている未確認動物 (UMA)のひとつ。鎚に似た形態の、胴が太いヘビと形容される。wikiより
私がツチノコを初めて知ったのは子供の頃に読んだ「ドラえもん」の過去作品でした。
1974年、漫画『ドラえもん』においてツチノコを描いたエピソード「ツチノコさがそう」が雑誌「小学五年生」に掲載され、翌1975年には「ツチノコ見つけた!」が「小学六年生」に掲載された。 wikiより
私はツチノコブームを知らない世代です。子供心に、こうした過去のブームへの言及を見るにつけ、なぜ少し上の世代がそれほど夢中になれたのか不思議でした。
「そんなもの、いるわけないじゃない。冗談でやってるの?」って・・・
しかし、この世代が子供だった時代はまだ、子供だけでなく大人さえ「人間にはわからない存在」を信じていたのです。そして、それを隠そうとしなかった。
非常に面白い記録動画があります。
「ツチノコ騒動記 和歌山 中日ニュース1973年(昭和48年)6月22日」
画面に中日映画社とありますが、この会社は昭和の記録を集めており、このニュースも本物の昭和の記録です。映画の宣伝ではありません。
注目すべき点は
・東京のデパートがツチノコ発見者に当時の金額で20万円の懸賞金をつけた。
・ツチノコがいたといわれる町の町長が指揮するツチノコ探検隊。構成員は大人~老人の男性ばかり
・ツチノコを見ると死ぬという祟りを恐れ、なおかつツチノコがいるよう祈りをささげる構成員たち
1973年頃の日本は、まだこうした社会だったんですね。
今、こうした活動があったとしても、大多数の人は「どうせ村おこし目当てだろう」と思うでしょう。村側の人たちさえ、そうした意識でしょう。
真剣にやろうとする大人は、皆無に近いのではないでしょうか?
でも、ノーベル賞受者たちが幼い頃~人格形成期までに見た大人たちは、こうした人々だったのです。
・・・大人がこうならば、子供が真剣にツチノコを探すのも、もっともでしょう。
世界には人間同士のちっぽけな競争より、もっと想像を超えたものがある。
―――そう、社会全体が信じる傾向にあったのです。
※生まれた世代による日本の研究者の質の差は「日本の科学研究をダメにしたのはセンター試験!?復活が望めない理由」にて更に詳しく取り上げています。
「わからない」の価値
今の大人は、幼いわが子に「どうして?」と聞かれると必死で答えようとします。
特に勉強にかかわる分野なら、そうでしょう。
最近は、子供の探究心や好奇心を育てようと、わざと答えを教えず、本人に考えることを促す教育法も話題になっています。しかし、それも大人側は答えをわかっているということが大前提です。
テレビ番組もそうです。
今の日本のテレビ番組は、わからないまま、問いをなげかけて終わることは、まずありません
子供向けの動物番組なら
「この野生動物は、どうしてこんな行動をするのかな?」
「それはメスをひきつけるためと考えられています」
こんなふうに、テレビは必ず答えをだします。実際は人間には動物のことなんて決して正確にはわからないのですが。
一方、ツチノコブームを知る世代の親たちは戦前の教育を受けた世代です。敗戦前の日本では、裕福な家庭に生まれた場合をのぞいて、多くが小卒の学歴でした。
(参考記事:「義務教育は12歳まで?小学校の次にまた小学校?戦前戦中の日本の教育」)
無学な人が多く、子供の質問にきちんと答えられる人は、あまりいませんでした。「わからない」と返すことがよくないという認識もなかったでしょう。
・・・戦後生まれのノーベル賞受賞世代が育ったとき、彼らを取り囲む周りの大人たちの殆どは、こうした人々でした。
当時はテレビもあまり普及してませんでした。
『大人はこの世はわからないことが多いという
ツチノコがいるかもわからない
だったら確かめてみよう』
この世代が幼い頃に植え付けられた世界観は、こんな感じなのかもしれません。
何でも答えが用意されてると思っている後の世代とは根本的に現実の捉え方が違うのかもしれないです。
こういうと、
「欧米先進国は日本よりずっと以前からテレビがあり、教育が行き届いている。なのに科学研究は日本より上をいってるじゃないか」
と思われる人もいるかもしれません。
しかし、そこは欧米には、戦後日本にはない特徴があるからじゃないかと思います。
欧米の科学研究における宗教の役割
とあるアメリカ製作の番組で、検死を行ってる医学者がこんな発言をしていました。
「人の死体は動物より少し甘いにおいがする。神様がそうおつくりになったのね」
・・・『神様がそうおつくりになった』
現代の日本の知識人なら、まず人前で言わない言葉ですね。
近年の日本人は他アジアとの差を意識したりするとき神道などの宗教に言及したりします。しかし、実際に宗教に帰依しているといえる人は少ないです。ましてや公言したりすれば世間から色眼鏡でみられてしまいます。
医師という知識人がこの言葉を発しても受け入れられるのは、聖書の価値観が強いアメリカだからこそでしょう。
科学とは真逆のもののように見える宗教。しかしアメリカは日本よりずっと前から科学技術が発展してる先進国です。
「神様がそうした」=人間には「わからない」
・・・世の中には人間の智慧が及ばないものが当たり前にある。
大人にそういわれれば、子供たちは、世界を不思議に満ちた輝きを秘めたものに感じるかもしれません。