みなさんはバブル期に対して、どのようなイメージを持っているでしょう?
就職活動の面接にも交通費が出たとか、社員旅行は海外だったとか、景気のよい武勇伝がよく出てきますね。
中国人の爆買いに対しても、「日本人もバブル期はそのぐらいやった」と中高年以上の人たちは誇らしげに口にします。確かにそのとおりでした。
若い人の中には、こうして伝え聞くバブル期の繁栄に対して、憧れや羨みを持ってる人も多いことでしょう
しかし、そこから現在に至る衰退の20年を生んだのも、またバブル期なのです・・・。
しばらくバブル期~90年代にあった、あまり世間で話題にされない日本の失敗談「しくじり先生」なお話をしたいと思います。
テレビによって培われたバブル時代の土壌
東京オリンピックの時期、日本の家庭にテレビが普及しました。
その後の日本人はテレビ画面を通して、アメリカの科学の力、月に着陸するほどの技術力、日本とは全く違う西欧人たちの豊かな生活文化を知り、一方的な強い憧れを持つようになっていきました。
(関連記事:戦後の日本人の原風景はアメリカドラマ)
欧米人たちが日本のことを第二次世界大戦で敗戦したアジアの小国としか思ってなかった時代、
日本人はテレビを見ては英米に憧れ、パリを夢見、科学の力でドラえもんのような万能の力を持つことを思い描いていたのです。
その日本人がバブルを迎え、世界でもトップクラスの富を手に入れました。さて、彼らは何をしたでしょう?
バブル期に来た空前の留学ブーム
バブルから90年代にかけて、日本では空前の留学ブームが起きました。
もちろん目指したのは主に北米、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドです。
アジアに行く人もいないわけではありませんでしたが、全体から見ると「変わり者」でした。
当時の日本人にはアジアなんて眼中にありませんでした。興味はせいぜい買春程度。タイも台湾もシンガポールも、まだ当時は存在感が薄かったです。私なんて韓国がどこにあるのかさえ、よくわかってなかったです。
もちろん、高い志をもって留学する人は少なくありませんでした。でも、それ以上に多かったのが、以下のような動機で海外に出る人です。
日本人の中には、「日本」が合わない人って必ずいると思うのね。そういう人は無理して日本に住んでる必要ないのよ。自分に合ってる国に住めばいいわけ
http://nynuts.hatenablog.com/entry/2014/01/27/230811
こんな感じで、自分探しの延長で日本を離れる人、とても多かったです。服でも着替えるような、ファッション感覚ですね。
大学で国際○○学部といった名称のコースが増えたのも、このころです。
若者向けのメディアにはワーキングホリデーという言葉がとびかいました。当時、海外に全く興味がなかった私でさえ意味を知っていたぐらいです。オーストラリアが人気でした。
欧米に夢を追って帰ってこなくなった人たち
自由とかっこよさを求めて西側諸国に旅立った人たち。
当時の日本社会もこうしたカジュアルな移住、留学を支持していました。
しかし、こうした無鉄砲な海外進出組の多くは、テレビ等のマスメディア、あと日本人の漫画家、作家が断片的な知識にもとづいて描いた欧米舞台の作品などを鵜呑みにして、なんとなく海外に夢を抱くようになった人たちでした。
彼らは海外に出たところで、現地で求められる技能や特技があるわけではありません。
下手な外国語で誰でもできる単純労働をこなし、夢にみた外国人の友人も大してできず、単なる思い出づくりの無為な時間を過ごして帰るケースが少なくありませんでした。
それでも日本に帰ってくるのはまだましなほうです。かっこつけて日本を出た手前、帰るに帰れず、今も孤独であてのない生活を送り続けている日本人も少なくないといわれています。アンダーグラウンドの道に入るケースもあったといいます。
実際、90年代にフランスに旅立ったきり、住所もわからず音信不通になってしまっているバブル世代の人の話を、知り合いから聞いたこともあります。
ちなみに総務省 統計局のサイトで参照できるうち、一番古い1996年のデータによると、この年に北米で行方不明になった邦人は59人、ヨーロッパでは70人だそうです。
96年はバブルがはじけた後でしたが、豊かさの余韻がまだかなり残っていた時期でした。
当時まだ未開だった中国、インドをあわせたアジアの行方不明者数が92人であることを考えると、なかなかデンジャラスな数字かもしれません。
アメリカも、ヨーロッパも、移民はいっぱいいます。
当局にしてみれば、日本人だろうがアフリカ人だろうが、「自分たちの国に一方的に憧れて押しかけてきた得体のしれない連中」という点で変わりはありません。
こうした「移住者」は、行方不明になろうが死のうが、日本側が騒がない限り、大事にはなりません。あまりにも、ありふれたことですから。
日本人を避けた日本人たち
また、一般的に、この時代に欧米に留学したり移住した日本人は、海外で出会う同じ日本人とつるみたがりませんでした。
当時、渡欧、渡米した多くの日本人にとって、外国人の友達を持つことこそ自慢になることでした。
海外に出てまで、日本人と一緒にいることは恥とされました。
現在でも、同じ国籍の人とつるむことが多い中国や韓国など他アジアからの欧米留学生をばかにする傾向は残っていますね。
当時は私も日本国内のことしか知らなかったので、海外に出てまで日本人とつるむのは臆病だし勿体ないという世論に納得していました。
でも世界を見渡すと、同郷、同じ国出身の人々が遠い地で協力しあうのは普通のことです。日本人が憧れてきた欧米先進国の白人にしたってそうです。戦前の日本人たちも、海外で日本人コミュニティを作り、日本人同士、協力しあっていました。
当時の日本人留学生らが、窮屈な自国を離れて異文化の中で暮らす「ひと味違う自分」というファンタジーに酔っていたのと違って、
他国からの留学生たちは、長い人生を生きる上のスキル作りとして留学してきています。
こうした地に足がついた考えで留学してる人たちにとって、利害が一致する人たちと励ましあい協力し合うことは、当たり前のことでしょう。
霧散したコスモポリタン
振り返ると、バブル期の若者たちは、日本人でないものになろうと必死だった人が多かったように思えます。日本人として人生を一歩一歩充実させようと努めるのではなく、何か他のものを追っていた。
当時、コスモポリタンという言葉が流行しました。「地球市民」という意味です。日本人という枠を超えて、世界の民、国際人を目指しなさい―――そう、当時の日本社会は国民に呼びかけていました。
若者たちの親世代も、彼らを諌めるのではなく「一度しかない人生だから、好きなことをしなさい」と背中を押す人が多かったです。テレビが流す先進的なイメージでしか欧米を知らない無知さが言わせていた言葉かもしれませんが。
・・・最近は、ちょっと日本の悪い点を指摘されたり、他アジアと比較して批判する声を聞くと「どうしてそんなに日本が嫌いなのか?」「反日だ」などと感情的な反応をする人が増えていますね。
同じ黄色人の周辺国が伸びるほど、日本国内は「愛国心に欠ける」ということに神経質になってきました。
でも、個人的には、このバブル~90年代ほど、「日本なんてどうでもいい」と思っている日本人が多かった時代は、戦後なかったんじゃないかと思います。
※関連リンク 「日本人の、アメリカでの不法滞在とか不法就労とか」
外部ブログですが、上記のような海外在住の日本人についての記事が掲載されています。
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