イエスズ会というと、日本では一般的に何が想起されるでしょう?
教科書に絵が載っているザビエル、信長との逸話があるルイス・フロイス、そして踏み絵、島原の乱といったところでしょうか?
イエスズ会は日本だけに来たのではありません。当時の彼らの目標は世界宣教でした。南アメリカにカトリックが多いのもその影響ですね。
彼らは当然、中国にもやってきました。
そこで宣教師たちは、キリスト教に関係ないある人物に強く惹きつけられます。
日本の文化にも、とっても馴染みの深い人物―――孔子です。
そして宣教師たちは、なんと儒教をヨーロッパに布教しだすのです。
儒教にハマった宣教師たち
イエスズ会による儒教へのアプローチは、マテオ・リッチのレポートが始まりでした。このころからイエスズ会は儒教の重要テキストである四書(「大学」「中庸」「論語」「孟子」)をヨーロッパの言語に翻訳しようと試みだしました。
その後、中国で布教し、中国思想に心酔したイエスズ会神父フィリップ・クプレ(Philippe Couplet)は1686年「中国の君主制の年表」(chronological table of the Chinese monarchy)という本を著します。
彼はこの中で七十人訳聖書と中国の歴史の記録との間に一致があること・・・中国思想とキリスト教のルーツの一致を証明しようとしました。
七十人訳聖書とは何でしょう?
日本ではあまりなじみのない言葉ですが、日本語版wikiにはこうあります
旧約聖書をギリシア語に翻訳した聖書であると伝えられ、紀元前3世紀中頃から前1世紀間に、徐々に翻訳・改訂された集成の総称
(名前の由来は)72の訳者が72日間で「律法」(モーセ五書)の翻訳をなしたという伝説によるという説が有力である。この72人の訳者とは、イスラエルの十二氏族)の各氏族から各6名ずつ派遣された長老たちとされる。
これには聖書の外伝なども含まれているそうです。
日本人が知らないWest meets East
1687年、クプレを含むイエスズ会の指導者たちは四書五経の翻訳本である「孔子――中国人の哲学者」(Confucius, Philosopher of the Chinese)を出版しました。
イエスズ会による「孔子――中国人の哲学者」
(Confucius, Philosopher of the Chinese)
英語版wikiより
この本はフランスのルイ14世に献上されました。
本の冒頭には、イエスズ会による以下の文書が添えられているそうです。
それでありがなら、単純で、賢明で、自然な道理という最も純粋な源から引き出されたものだ。
神託をのぞくと、これほど発達し、力に富んだ思想はない。
(英語版wikiより)
この著作はヨーロッパの知識層に孔子の教えを伝える初めてのものとなりました。
そして当時のヨーロッパの思想家たち、とくに自然神論者や、西洋文明と孔子思想の道徳性の統合に関心をもつ啓蒙思想家たちの間で、かなり重要なものとして扱われたそうです。
またイエスズ会は八卦や陰陽思想も紹介しました。当時のヨーロッパの学者たちはそれらに大いに惹きつけられました。
そしてヨーロッパの科学界にさえ大きな影響を与えたとされています。
たとえばライプニッツはイエスズ会の人と易経について話しあった後、二進法を確立できたそうです。
中世日本が文明国として高い評価を得ることができた理由
日本における儒教の歴史は仏教以上に古く、すでに古事記に論語の渡来を伝える部分があります。
そして武士道の源にもなり、江戸時代の六諭、明治以降の教育勅語、修身の教科書にいたるまで日本に深い影響をあたえてきた学問です。
(参考記事:「武士道って説明できますか?」
「教育勅語を生んだ幼学綱要をめぐる衝突」)
そんな日本で布教を行ったザビエルは日本人について、以下のように、とても高く評価しています。
「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう」
(wikiより)
イエスズ会が上記のように儒教の内容を高く評価していたならば、ザビエルの日本人への感想ももっともかもしれませんね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jesuit_China_missions
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