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昭和世代が若者に教えたがらない日本が豊かになれた秘密4つ

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1980年以降に生まれた若い人は、ずっと下り坂の日本、貧しくなる過程ばかり見てきましたね。

一方、現在アラフィフ以上の人々は、バブルに至るまでの、日本が豊かになった過程を覚えています。

しかし彼らは、アメリカやヨーロッパに近づく話はしたがるけど、どうして戦後昭和の日本が先進国になれたかについては、あまり語ろうとしませんね。

「本当に知りたいのは、そこだよ!」

と思ってる若い方も、いるのではないでしょうか?

 

今回は、バブル期に向かう上り坂の頃の日本を、精神面から取り上げます。

私自身、調べてみて驚いたほど、この時代の価値観は、現在の日本に広まってる価値観と違います。ツッコミを入れたくなる人も多いと思います。

でも

「この時代の彼らは、日本を世界でも有数の豊かな国にした」
「一方、現役世代の私達は貧しくしている」

という現実をふまえて、頭を真っ白にして読んでいただければと思います。

 

その1:お金のために働くのではなかった

以下は「銀河鉄道999」のTV版59話「なまけものの鏡」の一部です。
話数からして、1979年に放送されたものでしょう。

 

主人公 鉄郎の回想シーンです。鉄郎は母と二人で運搬の仕事をしています。

鉄郎:「もうダメだ。いいだろう?休もう」
母:「がんばらなきゃダメ。元気を出すのよ」
鉄郎:「休むとそのぶんだけ、もらうお金が少なくなるけど疲れちゃった」
母:「なまけ心に負けてはいけません」

 

休んでいるところに運搬車両を運転する人が通り、鉄郎はそれを眺めます。
「少しお金は安いけど、あのほうが楽なんだけどなあ」

車に乗る人を羨む鉄郎に、母は、こう諭します。

 

 

「母さんはね、お金のことでこっちを選んだんじゃないのよ。
自分の体を動かして、一生懸命働くことを忘れてほしくないからなの。
機械があるからといって、なまけることを考えてはダメよ」

 

***

私は銀河鉄道999のリアルタイム世代です。
それでも、今回見返して
「この時代のテレビは、こんなこと言ってたんだ・・・」
と、驚きました。

それぐらい、この40年で日本社会は変化したってことでしょうね・・・

 

日本人と縁がなかった「アーリーリタイア」

近年、日本でアーリーリタイアという言葉が広まってますね。
特に若い方に人気があるようです.

 

「金さえあれば、もう働く必要はない。
時間や組織に縛られることなく、自由に生きることができる。
だから、若いうちから投資などで金を増やして楽になろう」

これがアーリーリタイアの考えですね。

ところで、この「アーリーリタイア」という言葉に相当する日本語、何か浮かびますか?

・・・なにも浮かばないんじゃないでしょうか?

「早期退職」は、その後に別の仕事に就く人も含む言葉なので、意味が違いますね。早期退職自体、バブル崩壊後から普及した言葉です。

もちろん英語では、この言葉あります。正確には「early retirement」です。今の日本でよく見られるような、アドバイス本やHow toサイトもたくさん存在します。

・・・つまり、もともとの日本には「金があるなら仕事をする必要がない」という発想自体が、なかったわけです。

現在、常識になっている「金のために働く」という思考回路は、おもにバブル期以降に欧米から入ってきて、根付いたものでしょう。

この時代にはすでに、日本人は勤勉だと海外から評されていました。
「金があるなら、もう働く必要はない」があたりまえな欧米人から見れば、当時の日本人は信じられないほど勤勉な民に見えたでしょう。

 

その2:出たがり経営者がいなかった

「「金のために働くのでない」なんて言ってたら、ブラック経営者に利用されるだけではないか?」

今どきの人なら、多分、こんなふうに考えるんじゃないかと思います。

しかし、この時代は、経営者たちも、今どきのそれとは違っていたのです・・・

90年代以降に成功して有名になったベンチャー企業というと、ぱっと浮かぶのが柳井さんのユニクロ、孫さんのソフトバンク、三木谷さんの楽天、最近だと前澤さんのゾゾタウンとかでしょう・・・

経営者の顔がすぐに浮かぶ企業が多いです。

彼らは会社が成功するのとともにマスコミの前に立ち、会社と同時に個人の知名度をあげました。
自分の会社の成功をもって、自分個人の有能さをアピールする「ヒーロー」です。

もちろん経営者たちの名誉のために加えると、90年代以降のマスコミが勝手にそういうヒーロー像を作り上げた可能性もあります。
近年は「カンブリア宮殿」など、組織の成功の理由を一人に帰すタイプの報道が増えています。
経営のみならず、スーパーボランティアなんてヒーローまで出てきましたね。
マスコミが見栄えのよいヒーローを求めているのか、ヒーロー番組を作ると視聴率が良いからなのかは、わかりませんが・・・

どんな理由にせよ、無名の労働者側と、そこから利益を受け取るヒーロー側との線引きがはっきりしてる。それがヒーロー経営者の会社です。

 

顔を見せなかった昭和の経営者

昭和の企業の場合、表に出てくるのは企業の名前のみでした。

サントリーの鳥井家、カゴメの蟹江家、イトーヨーカドーの伊藤家などといった創業家のことは、経済に関心の高い一部の人しか知りませんでした。
近年、顔が知られるようになったトヨタの創業者一族も、昭和の時代は出てきませんでした。

昭和のカリスマ経営者とされている本田宗一郎氏が有名になったきっかけはF1、松下幸之助氏は政経塾などからでした。
ともに企業が十分にブランド力を持った後からのことでした。

昭和の経営者、創業者は個人である前に「○○社の代表取締役」でした。自分自身より組織を重視し、経営陣もその一部と認識していました・・・。

例外として、盛田氏らソニーの幹部は、今時のヒーロー経営者的な扱いをされていました。
しかし当時のソニーのブランド力は今のアップル以上でしたので、当然かもしれません。
(関連記事:「若い世代ほど知ってほしい トヨタ以上だった日本の栄光 ソニーの凋落」)

 

「働いたら負け」の裏にあるもの

バブル後から現れたヒーロー経営者という存在は、近い時期にネット上で流行した「働いたら負け」という言葉ともつながってる気がします。

経営者が自身ではなく組織を目立たせる場合、
その一員である従業員が頑張れば、組織の評判やブランド力が上がります。
そして、それは組織のメンバーである従業員本人にもメリットをもたらします。

しかしヒーロー経営者の下では、どんなにがんばっても、その結果はヒーローの有能さを証明する道具になってしまいます。従業員はどこまでも日陰です。

・・・だったら、従業員になりたくない、または賃金以上の仕事はしたくないと考える人がでても、不思議はありません。他人の成功に利用されたくない、だから「働いたら負け」なのでしょう。

 

その3:今どきの「うつ病」がなかった

現在、うつ病やカウンセリングという言葉は身近なものになっています。
こうした精神医療系の言葉が一般的になったのは90年代以降です。ここ30年ほどで普及したことなのです。

上は1980年代から2005年にかけての精神科と心療内科の件数の推移です。
大変増加しているのがわかります。

 

バブル-90年代にかけて「24人のビリー・ミリガン」「アルジャーノンに花束を」といった、精神の謎をとりあげたコンテンツが流行しました。
トラウマという外来語が定着したのも、この時代でした。「○○障害」などといった精神医療系の言葉が一般的になったのも、そうですね。
この時代を機に、自分の精神の内部に目を向ける人が増えた印象です。

 

昭和の時代も「うつ病」はありました。
しかし、それは、本当に重症で入院監視が必要なレベルの人、もしくは不意に自殺者が出て、周囲に責任を問いたくないときの方便として使われる言葉でした。
「プチうつ」なんて言葉が生まれる現代とは重みが違いました。

 

昭和の時代にうつ病が少なかったり、発達障害が問題にならなかったことを「社会がのんびりしてたから」などと言う人がいますが、それは大きな間違いです。

次でとりあげますが、昭和の社会は今より厳しく、できない者への日常的な罵倒もよくあることでした。今、差別用語とされてる言葉を禁じる必要を、誰も感じない社会だったのです。

 

昭和世代だって、悩みも苦しみも憂鬱もありました。
ただ、当時は薬ではなく、自力で解決するしかなかったのです。

自分の内面を掘り下げて悩むより、体を動かして頭を切り替えろ!と言われるのが昭和でした

 

その4:昭和の黒歴史 スパルタ教育

「昭和はよかった」という人たちが、なぜか「昭和に戻そう」とは言わない、おそらく一番の理由がこれじゃないかと思います。

1980年代はじめ、日本ではスパルタ教育という言葉が広まっていました。厳しい訓練のような教育を指します。

スパルタとは古代ギリシャにあった、軍国主義の国の名称です。しかし、スパルタという言葉は、ただの比喩で、実際は敗戦前の軍国主義的な価値観を引きずった教育を指していました。

現在は、死者を出した戸塚ヨットスクールが代表格で語られますが、エリート向けにも「入江塾」「渡辺の門」といったものが人気をあつめ、信奉する保護者が多く存在しました。バブル世代の親ぐらいまでは戦前教育世代でしたので、自分たちが受けたのと似た教育を、子供にも授けたかったのかもしれません。

入江塾/伸学社

人間7分、学力3分の信念から、徹底した内面教育を行い、礼儀やマナーが守れない生徒は容赦なく叱責罵倒した。体罰も公然と行われていた。しかし、それに伴う学力指導の成果もあり、毎年灘高を始めとする難関校に多数の合格者を出した。
(wikiより)

 

渡辺の門

塾長は渡辺勇三。 海軍飛行予科練習生の出身という経歴を持ち、塾では旧帝国海軍の指導方法を根底においたスパルタ教育を行っていた。

寮で自習・授業を受けるフロアーは「道場」と呼ばれていた。入室の際は直立不動の姿勢から深々と一礼し、「お願いします」と大声を張り上げなくてはならなかった。竹刀を構えた塾長が一礼の角度や声の大きさ速さをチェックし、不十分と見なされた者はやり直しを命じられた。

塾長による体罰が行なわれていた。 ただし塾長自身は自らの行為を、「坐禅における警策」 のようなもの、すなわち、「注意を促し覚醒させる、あるいは気合いを入れ、勉強に集中させる」行為であり、 「罰」として行なっているのではない、としていた。(wikiより)

 

誤解されがち?実は優秀?1960年代生まれ=バブル世代の特徴7つ」でもとりあげましたが、1980年代前半頃までは、公立の小中学校の多くも、上の引用に近い感じでした。
当時は戦前教育世代が校長や教頭職のことが多かったせいかもしれません。

 

現代でも、この時代をよしとして、体罰を復活させるべきとする意見を出す人もいますね。

でも、私は絶対に反対です。

これが今時の日本の道徳の教科書!昭和世代なら愕然の中身とは?」で取り上げましたように、近年の日本の若者が受けてきた道徳教育は曖昧です。社会全体が、外国人から善悪の観念を失っていると指摘されるほどです。

この状態で暴力を肯定したりしたら、イギリス大使パークスが「日本は南米のようになる」と予言したような治安の悪さに見舞われるかもしれません。
(関連記事:「明治期のイギリス大使が日本に向けた不吉な予言」)

 

ニートやひきこもりが許されない社会

昭和に活躍した教育者に、森信三という人物がいます。
明治生まれの方で、1992年に亡くなっています。

戦後、10年以上にわたって神戸大学教育学部の教授を務めた人物であり、愛知県半田市の名誉市民にもなっています。
著書の「修身教授録」はいまだ絶版にならず販売されています。

この人物が述べたこととして、wikiに以下の文があります。

1943年7月2日に京都盲学校での盲人に対する講話において「あなた方は少年航空兵にもなれず、潜水艦にも乗れず、直接召に応じて出征することが出来ない身の上であります。敵と体当たりをして散ってゆく同年輩の青年。そうした人々と自分とを引き比べてみて、目の不自由から来る身の至らなさに思いを致されなければなるまい」と障害者は死ねと言わんばかりの意見を平然と述べていた

 

若い方は、なんて無神経な人だと感じると思います。

でもアラフィフ以上の方は、この価値観を覚えていると思います。

上に述べたように、昭和の人々は組織を重視しました。
そして同時に「組織に貢献できないということは、どんな理由であろうと恥である」という見えない圧力もまた、社会に存在していました。

 

 「やさしくない」過去から考える日本の未来

・・・このような昭和の社会の下、日本は豊かになりました。
当時はメリハリがあり、きびきびして、けじめのある社会でした。
けれど、今のような、やさしい社会ではなかった・・・

昭和世代が、当時のことを若者に教えたがらない理由もわかるかと思います。現代社会が掲げてる理想と違いますから。

 

90年代、戦前世代から日本の舵取りをバトンタッチされた戦後教育世代は、
前時代の力で経済大国の地位を得ていたのを機に、
厳しくて集団主義で軍隊的な日本をやめて
豊かさを足がかりに、
「やさしい日本」を作ろうとしました・・・

上記した渡辺の門も、1990年代に入ると世間の教育環境の変化から、入寮者が激減したとあります。
公立学校における体罰も禁止されます。

シンガポール人のリー・クアンユーが日本軍の暴力を嫌ったように、戦後うまれの日本人だって、本当は戦前世代の暴力性が嫌だったということでしょう・・・
(関連記事:「知られざるシンガポール反日感情の理由」)

 

90年代以降の日本は、寄付も、人道援助も、たくさんしてますね。
全員が手をつないでゴールする理想主義的な徒競走も、前時代の厳しさの反動といえなくもないです。「ナンバーワンよりオンリーワン」もね。

「昭和のような厳しいことをしなくても、アメリカやヨーロッパの方法を模倣すれば、彼らと同じように一等国のままでいられるのではないか・・・」

この時代を知る戦後世代ほど、欧米先進国と日本を並べて語りたがるのは、そんな願いが背景にあるからかもしれません。

 

・・・でも、そんなに甘くはなかった。

ヨーロッパの先進国は、帝国主義時代に築いた元植民地への影響力をまだ保持しています。表に出てこない利益がある。
(関連記事:「ソフトバンクは貧困国型の企業。国家のお金を渡してはいけない人たち」)

アメリカの豊かさも、バックヤードといわれる中南米の存在を切っては語れないです。
(関連記事:「世界で最もアメリカ依存の国])

また大航海、植民地開拓時代の先祖が命がけで築いた世界覇権という遺産が、「白人崇拝」という形で現在も残り、何もせずとも彼らに国際的な人気と信頼をもたらしています。
(関連記事:「白人はアジア人を見下してる!? でも差別はあって当たり前」)

 

しかし日本に、そういったアドバンテージはありません。

独自に持っていた豊かになる方法を捨てれば、やがて貧しくなり、同じように白人を真似るばかりのフィリピンと似てきてしまうのも、必然だったのでしょう・・・
(関連記事:
白人の真似ばかりの国 フィリピンは日本の未来か?
日本の若者に忍び寄る「フィリピン人化」」)

 

今後、どういった道をとればいいのか・・・

過去を否定し続け、フィリピンが辿ったのと同じ欧米の後追い路線を続けるのか。

日産がゴーン氏を追い出したように、自力で違う復活の道を探るのか・・・
(関連記事:「ゴーン氏という「なろう系主人公」 日産問題を考える」)

過去の成功方法を知っていて、社会的にも長老世代になるアラフィフ以上は、今後、岐路に立つかもしれません。

そのとき、日本軍の規律の厳しさに影響を受け、なおかつ暴力に頼らず国を成功させたシンガポールは、私達に何らかのヒントを与えてくれるかもしれません。
(関連記事:「不景気しか知らない世代こそ見てほしい 日本に勝った先進国シンガポール」)

 

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