現在、一般的に日本において、論理的であることは、良いことだとされています。
もともと昭和までの日本人は、「情緒的な民」であると自認していました。彼らが「論理的な民」だと考えていたのは、欧米人でした。
(関連記事:「知ってほしいバブル期前の日本 1970年代の日本」)
日本が欧米に並ぶ先進国となった後、日本人の多くは論理的になりたいと努めてきました。小中学校にディベート教育が取り入れられたのは、平成になったあたりからだった記憶です。ロジカル・シンキングなんて言葉もよく聞きますね。
そして現在、以下のような記事すら見るようになりました
「「理」で考える日本人「情」で動く中国人」 (フォーサイト-新潮社ニュースマガジン)
他アジアを「論理的でない」と批評できるほどになった、現在の日本人・・・。
しかし、なぜか、そうした「論理的でない国々」より、経済も技術力も衰退の方向に向かっています。
実際はぜんぜん論理的でない先進国
論理的でありたいと願う日本人の多くは、アメリカ人をはじめとする欧米人の行動原理をよしとしています。
アメリカは、論理的に自国の利益になるかどうかを基準にして行動する国である・・・識者の多くは、そう主張します。
しかし、アメリカやヨーロッパの人々は、本当に論理的でしょうか?
たとえば、トランプ氏。
大統領選に出馬したときは、すでに巨万の富がありました。70歳近い高齢で、健康不安がまったくないはずはありません。
なのに彼は、選挙資金を自腹で出してまで、大統領選に出てきました。
そして、世界中から悪者扱いされながら、自分の信じたことをやりました。彼の悪評は娘のイヴァンカさんのファッションブランド業にさえ支障をきたすほどでした。
実際、開票結果が出る直前まで、ヒラリー当選を予想する声が圧倒的でしたね。
トランプ氏の行動を、お騒がせの売名行為だと勘ぐる人も多かったです。
しかし、名が売れて、多少ファンが増えたところで、彼はその利益を十分に活用できるかわからない年齢です。
トランプ氏の行動は、論理的に、利益にもとづいて考えれば、愚かなことでしょう。
それでも、彼はそれが、神から与えられた使命だと思っているからやっている・・・大統領になってからも、手を抜いたり、休んだりなんてしていません。
トランプ氏は成功したアメリカのビジネスマンです。
でも利益を第一に考える論理的な人ではありません。精神論の人なのです。
(関連記事:「トランプ ファミリーと共産圏を結ぶ3つの縁 アメリカの敵は誰か?」)
オバマ氏もそうですね。
彼が出馬した当時、過去のデータから分析すれば、黒人が大統領に当選する可能性は低かったです。
出馬なんて単なる売名行為にしかならないのだから、他のことでがんばったほうが合理的だ・・・利益にもとづいて考えれば、そうでしょう。
しかし、彼はそういう人物ではありませんでした。そしてアメリカ国民は彼を選びました。
イギリスのEU離脱もそうでしょう。
日本人の多くはEU離脱案が出てきたこと自体に驚きました。実際に決着がつく前は、どうせ離脱しないとたかをくくってる予想もよくみられました。
利益にもとづいて論理的に考えれば、EU離脱はマイナス面ばかりだからです。
実際、決着後、ポンドは大きく価値を下げました。イギリスからの移転を決める企業も続出しました
しかし、イギリス国民の多くは、損を覚悟で、離脱を選びました。判断基準は利益ではありませんでした。
日本と同じアジアですが、シンガポールだってそうです。
故リー・クアンユーが中国をサポートしはじめた頃の中国は、今のような状態ではありませんでした。
文化大革命の後の、非常に貧しく、汚職がはびこる、完全な途上国でした。
共産主義国家のため、英米からも敵視されていました。
そんな中、リー・クアンユーはイギリスに背を向け、貧しい中国にアイデンティティを求めました。
あの時代に、イギリスより中国を選ぶなんて、国の利益や発展を論理的に考えたら、ありえない話でした。
しかし、その結果、シンガポールは貧しくなるどころか、日本に取って代わる先進国に成長しました。
(関連記事:「不景気しか知らない世代こそ見てほしい 日本に勝った先進国シンガポール」)
先進国にはいつも、信念のためなら、損を恐れない覚悟で動く「精神論」の人たちがいる。
だからトランプ氏当選のような
今どきの日本人が予想しない「どんでん返し」が現在進行形で起こるのでしょう。
極端な例ですが、日本の過去ですら、そうですね。
論理性をよしとする人たちは、悪い例として、しばしば敗戦前の精神論が強かった時代を挙げます。
論理的に自国の利益を考えている国だったら、あんな無茶な戦争はしない、またはもっと早く降参していた、・・・そう指摘します。
たしかに犠牲の大きさを思えば、そう考えるのも無理はありません。
しかし、戦後の日本を先進国になるまでリードしたのも、この精神論で育った人たちです。
(関連記事:「経済大国を作った戦前世代、失われた20年の戦後世代」
現代人は、論理的に利益を追求すべきと主張します。
けれども、なぜか利益はわたしたちをすり抜け、日本は貧しくなっている・・・
わたしたち現代人は、何か大きな思い違いをしてるのではないでしょうか?
先進国とは1+1=5だと言える国
「氷河期世代は正社員が少ないから平均年収が低い。見捨てられた世代だ」
「一流大学の学生の家庭は大多数が高収入だ。生まれた家で人生が決まる」
現在、日本にあふれてる論説は、このような
「1+1=2になります。当然ですよね?」みたいな話ばかりです。
「1+1=2だけど、私たちはそんなのは嫌だ。だから1+1=5にしよう」
といった、非論理的だけど意思に満ちたことを言い出す人はみかけません。
そして先進国でいられるのは「1+1=5にする!」と言う人たちが、元気な国だけです。
日本は論理性を持つことを重視した結果、
起きた現象を分析し、考察する批評家ばかりを生むようになってしまったのです。
「東南アジアは人件費が安いから工場を移転しよう」
「少子高齢化で将来性がない日本を捨てて、海外に移住しよう」
こんなふうに、損得や数字を判断基準に、いつも外部の事象に左右され、その方向になびくだけ。
意思のない論理性とは、空虚なものです。
日本は、こんな「論理性」ばかりにとらわれて
「現実がどうであろうと、私たち自身は、どうしたいか」
を考える人物が、でなくなってきてしまったのです。
意思決定するのは人間。論理は道具にすぎない
現在、日本では少子高齢化ゆえに、将来は暗いという観測が一般的になっています。
それはおそらく、アメリカやヨーロッパのマスメディアが発している、日本は高齢化ゆえに沈むだろうという論説を、そのままコピーしているのだと思います。
終身雇用制をやめるべき、移民を入れるべきという意見も、そうしたコピーですね。
・・・しかし、どうして外国人に日本の未来を決める権利があるのでしょう?
日本人が、ずっと欧米先進国に憧れてきたから?w
先進国において、主役は人間の意思であり、論理的分析は道具です。論理が意思を決めるのではありません。
ましてや、赤の他人の外国人が決めることでもありません。
ですから、日本人が自ら
「日本人の特性である和の精神を生かして、高齢者と若者が互いを大切にする未来にしよう」
「老人の持っている日本の伝統的な知恵や価値観を、積極的に若者に伝えて、昭和のような豊かな国にしよう」
などといった、意思的なスローガンを掲げたっていいのです。
先進国には、まず意思がある。
それから、その意思を叶えるために、論理が武器となって、障害を排除していく・・・
その意思こそ、ビジョンというものでしょう。
前記事「終身雇用制度の元祖はパナソニック!実は不況に適した制度?!」の内容を例にあげるなら、
敗戦後の日本の経営者たちが
「国中が不景気で、健康で熟練した働き手も少ない状態では、終身雇用なんて続けられません」
と、もっともなことを言っていたら、戦後の混乱は長引いたことでしょう。
貧しくても、明日が見えなくても、社員を守りたいという非論理的な意思があったから、高度成長期に成功できたわけです。
日本が将来も先進国でいられるかは、いかに多くの人がそこに気づくかにかかっているのではないかと思います。
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